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つじのポンコツ日記

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2022年 01月 02日

年賀状マラソン2022


「父さんへ、私はこれからも陽気に生きていこうと思います、きっと人生にはチャンスしか転がっていないと思うので」


これは昨年の年賀状マラソンの記事にて最後に綴った言葉です。


一昨年、2020年の後半は本当にどん底で、眠れなくて食べられないのにお酒だけは少し飲めるという都合のいい体調不良の身体を引き摺って暮らしていた。


最低な気持ちのままスタートした2021年はエンジンが掛かるまで結構時間がかかってしまった。


整体に行ったときに「なにか運動をした方がいい」というアドバイスを貰ってジョギングを始めたのが1月末だったか。
最初は3分走っただけで動けなくなっていたけれど、続けるうちに無心で走ることが出来るようになって毎週末に5km~6km、調子がいいと10kmくらい走れるようになっていた。
梅雨入りとともに「雨だし危ないから」という言い訳と共にちゃんとサボるようになったので、きっと心身の調子を取り戻したってことなんだと思う。そういう事にしておいてくれ。




ジョギングをサボると同時に風呂通いが始まった。

「風呂上がりのビールは格別にうまい」というタレコミがあったからだ。

私はもともと風呂が嫌いで、出来ることなら入浴を避けて生きていきたい位に思っていたけれど、
行ってみたら世界が一変した。完全にチャクラが開きました。チャクラが何かは知りませんが…

銭湯とサウナはとにかく凄かった。
入浴後のビールはぼろぼろの私を救ってくれた。





2021年は例年と比較して相当良い音楽ライブを観ることができた(音楽ライブって言い方なんなの)

2021/3/20
トミヤマカズヤスマキ/ファックマツモト(居酒屋ちどり)

2021/4/23「MARK3020」
SuiseiNoboAz(TSUTAYA O-EAST)

2021/5/4 「THE MATSURI SESSION」(日比谷野外音楽堂/無観客配信)
NUMBER GIRL/ZAZEN BOYS


他にも、NUMBER GIRLのワンマン、超前列ど真ん中で号泣したり、ZAZEN BOYSのワンマンに二回行ったり、念願の真黒毛ぼっくすと曽我部恵一さんのライブを観ることができたり、かなり充実していたように思う。

これは書くか迷いましたが、SuiseiNoboAzとサニーデイ・サービスの2マンが見たくて、このご時世に一人で大阪まで行ったりもしました…





2022年、いっちょベタなことでもしてみっか!と思い立ち、大晦日には行きつけの銭湯に行き、
元旦に生まれて初めて浅草に行ってみた。とんでもねえ長蛇の列を見て二秒でお参りを断念。

ホッピー通りに吸い込まれ、焼酎のお湯割りを飲んだ瞬間に、「今年はきっと良い一年になる」そう思った。




毎年恒例の年賀状マラソン、走り続けて、とうとう25年目。
あの頃に想像していた大人とは程遠いけれど、全然悪くないじゃんね。

宜しければお正月のお供に、まずは過去5年分の記事をどうぞ。


それでは今年も、毎度お馴染みのコピペ記事にてお送りします。
いい加減、exciteブログからnoteに記事を移行したいと思い続けて二年が経過…
果たして今後はどうなることか…

それではどうぞ!






私はもう何年も、毎年一枚だけ年賀状を書いています。

1998年から始まったそれは、あっという間に今年で25枚目。
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わたしは16歳の頃からの欠かさない習慣として、たった一枚の年賀状を書き続けています。


教育熱心な両親の元、私は私立中学にお受験で入学した。


持ち上がりのまま付属の高校に進学したものの、ある時から急にクラスメイトに馴染めず孤立し、
実にあっさりと(ほぼ半年で)高校を辞めてしまった。
※ご存知の通りグレることなく、根暗で割と行儀のいい人間に育ちました


そんな短い高校生活のなか、授業と言えば、英語と数学だけはクラス関係無い学力別という残酷なシステムを採用していました。

数学の授業に関して見事に最低レベルクラス所属の私は授業中に500ml紙パックの苺ミルクオーレを飲みながらうたた寝をして教師に呼び出しを喰らう有様。

プールの授業後でひどく疲れていたと云う言い訳は一切聞いてもらえずよく怒られていた。
そんな数学の授業で、 うちの高校には珍しく、中学からの持ち上がりではなくて 通常の受験で入学してきた変わり者の男子生徒が居た。

仮の名を「ナタリー」とする。

当時彼は、映画の「レオン」が大好きで、 ナタリーポートマンを崇拝していた。
授業中は主にナタリーの写真の切り抜きをノートに貼る作業。
もしくは、自作の漫画やイラスト等を描いていた様に記憶している。

たまに彼と席が隣になると、馬鹿なことを話しては笑い教師に睨まれ、しかし次の週にはまたイラストを見せ合い笑い、怒られるという阿呆な日々。
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ナタリーとはクラスが違ったので、数学の授業でのみ交流があった。

風の噂でナタリーと同じクラスの子から、 「音楽の授業に早弁(腹が減ったので弁当を昼食まで待てず喰うこと)をしていた」 という伝説等を耳にした。

音楽の授業中に早弁…! 尊敬に近い感情を持ったまま、 高校からフェードアウトしてしまった私は、 なんとなくその年のお正月、彼に年賀状を出してみる事にした。

もちろん携帯電話など無いポケベル世代真っ只中。 連絡を取る手段なんて実家の電話しかない、そんな化石のような時代のおはなし。それが1998のこと。


そして。返事が来た。


以来、実に25年もの間、年賀状のみのやり取りをしている。

私もナタリーもお互い、絶対に年賀状を書き続けている。
ちなみに家は非常に近い。 電車でほんの20分程度かと思われる。

しかし、ポケベル世代だった私たちは、当たり前だけれど メールアドレスも電話番号も知らないし、連絡も一切取ることなく、会ってもいない。

あの教室の、隣の席で話したっきり時間は止まり、25年が経っている。 それでも絶大な信頼感はお互いに感じていて、 それが心地よくて、毎年元旦の朝を迎えている。
以下、抜粋した記録をお届けしたいと思う。 ナタリーからの年賀状達。 (通称:「年賀状マラソン」)


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1998(16歳)
「まさかつじさんから年賀状が来るなんて驚いた! 数学の授業中に話す事が出来なくて残念だけど、まぁ頑張るさ。 いつか又お洒落なハガキをください。あなたはおもしろい。」

1999(17歳)
「返事が来ないと思いつつ年賀状を書きました。 ぼくは今郵便局でバイト中です。いまでも貰ったハサミを使っていると 君のことを考える時があります」

2000(18歳)
「グレたりしないで人生を楽しんでいますか?俺は、大学に行っても勉強もしないでバイトばかりしそうな気がするので、専門に行こうかなぁと考えています。最近筋トレにハマっています」

2001(19歳)
※わたしの引っ越しの混乱により、年賀状紛失

2002(20歳)
「はるばる上野の予備校に通ったものの受験に失敗して、スベリ止めの 卵の白身のカロリーくらいしかない大学に通っています。 同じ大学の加藤あいには会えないし、つまらないです」

2003(21歳)
「俺は結局、大学を辞めてフリーターになってしまいました。 今は主婦と仲良くスーパーで働いています。趣味で料理をはじめました。 得意料理は親子丼とホットケーキです」

2004(22歳)
「俺は相変わらずフリーターのままです。働いていたスーパーが潰れたので肉屋の総菜コーナーで働いています。映画鑑賞が趣味です。 (猟奇的な彼女)には負けました。マジで面白いのでオススメです。」

2005(23歳)
「肉屋の総菜を辞めてニートを経て、化粧品のピッキングをしています。去年はよく競馬に行きました。休日は中山競馬場でオヤジ達と絶叫する日々。 映画は、スウィングガールズが良かった!」

2006(24歳)
「引っ越した。一人暮らし。貧しいけれど、自由気侭なフリーター人生。 基本週5日のバイトと、土日にたまに派遣で働いてる。 でも競馬に行ってるから貧乏な生活。クリスマスも競馬の為にアスファルトの上で場所取りしてたよ」

2007(25歳)
「なんやかんやで、つじさんとの年賀状マラソンも10年目。 お互いに年を取っちゃったね。あの日数学の授業で隣同士にならなかったら、 この手紙は有り得なかったと考えると、不思議というか、スゴイと思います」

2008(26歳)
「お元気ですか?年賀状男のナタリーです。 人生順調ですか?俺は人生初のインフルエンザになりました。 昔は、映画を作るのが夢だったけど、映画館の建設というかけ離れた仕事をしたり、競馬をしたり映画を観たりしました。 つまりは無意味な日々」

2009(27歳)
「年賀状男のナタリーです。いつかは返事の無い年がくるんだろうなぁと思い寂しく思う年末です。俺はワーキングプアの極みに達しました。 去年は人生で最も働き、最も金を使いました。週7日間働いたり、 トリプルワークにチャレンジしたり。 俺は必死に大人になる事から逃げているのかも知れません。」

2010(28歳)
「家はあるのに家には帰らず、公園のベンチで月を見ながら、 堕ちたもんだと呟く。お互い年を取ったね。今年はマンガにはまりました。 お薦めはボーイズ・オン・ザ・ラン、なにわ友あれ。 20代最後の年をマクっていきたいなぁ。 」

2011(29歳)
「酒に溺れたり、ギャンブルにハマったりろくでもない20代を過ごしましたが、 4月には30歳になります。世間じゃあダメ人間と言われる俺だけど、 なんとかなるだろう、の風まかせ精神で生きてきました。 高1を最後に一度も会わず14年目の年賀状。これって凄いよね。 つじさんの味のある年賀状が好きだなぁ。エセOL生活頑張って下さい! 俺はエセ職人。上下寅一の服で居たりする。では。」

2012(30歳)
「ずっと先だと思っていた30代、30才って大人のイメージだったなぁ。 でも現実は30才になったからと言って何かが変わるわけでもなく、一日が終わり、明日へ続く日々。 月曜日の朝にランドセルの小学生が『ジャンプ』を立ち読みしている姿を見て昔の自分を思い出しながら、その隣で『ヤンマガ』を読む。 感性は変わっても生き方は変わってない、そんな僕です。」


2013(31歳)
「2人で平成の神話を目指そう。ということでナタリーです。 プー→フリーター→ニート→ハローワーカー→就職と、ドラマチックでない ロンバケを9ヶ月程過ごしました。 ぎっちりと味のある字で読んで楽しいつじさんの年賀状を見た時に、 ananの林真理子のエッセイよりスゴイのになぁ、と思うナタリーです。 エセOLをしているなんてもったいない。まぁ人生いろいろあると思いますが、 40代になっても続けたいね、年賀状マラソン。 仕事はもちろんリーマンではなく、鉄関係の職人を目指して働いているナタリーでした。」


2014(32歳)
「今年は書くのがスロースタートでした。でももちろん書くよ、絶対に。年賀状マラソンの決意を決めた、去年の年賀状。じぇ!じぇ!な内容に、体大丈夫?笑ったり心配させたりするつじさんの年賀状は自分にとって、最高のエッセイだよ。[あまちゃん]にハマり、漫画[新宿スワン]の終了にショックを受け、[競馬]から完全に足を洗い、ロトに夢を見る。そう、大人になれないナタリーです。だけど、年賀状は続けていくよ、まだまだずーっと」


2015(33歳)
「映画館で流れていたタバコCMをカッコイイと思っていた少年は、キャラではなく【不器用な人生】を生きることに…最近、金運上昇を期待して金魚を飼い始めました。ペットショップではなく、養魚場まで行く気合の入りようです。が、ロト6も馬券にも効果はいまのところ…パクパクと口を動かしながら泳ぐ姿は酒の肴としては楽しめるけどね。【同じ月を見ている】ってマンガが、不器用な男の生き様として泣ける、おすすめです」

2016(34歳)
「あの教室はもうないけれど、京成に乗って二人で止まった時間を動かしに行こうか?と言うことで、ナタリーです。
ブログ読んだよ。”年賀状マラソン”は二人で続けてきた平成の神話だけど(今の中高生には無理だよね)知らないところでつじさんの力になれたみたいで嬉しいなあ。ブログ楽しみにしてたよ。でも、才能が酒でおぼれているような気も!?去年の年賀状に書いてあった”夢”、悪夢になるかもしれないけど気持ちが変わらないなら、ぜひ」

2017(35歳)
「祝・年賀状マラソン20年目突入。15才の春に出会った二人も35才になりました。
制服姿だったあの子も今では人妻に…という事で結婚おめでとう。
つじさんの友人の脚本家と同じ学校を受験した19才の冬を思い出しました。
面接で【エロじゃなくて暴力映画でR−18になりたい】と熱く語り、不合格になったバカだったあの頃。
ずーっと言い続けてるけど、つじさんのエッセイストの才能は凄いからね。闘病ブログに笑いを持ってきた唯一無二の存在なんだから。ポンコツOLの芝レースからダート路線に行くのを待ってます。クロフネになってね。」

2018(36歳)
「小学生の頃、犬を飼いたかった少年は30代になり、魚(アロワナ)のベニオ君(4才)と生活することに…
好物はローソンセレクト、スモークタン。つじさんは犬派?猫派?馬という答えはなしです。
という事で、今年も続く年賀状マラソン、少し前から人目に晒され、観客の中を走ることに…
本当はつじさんからの年賀状が読みたいと思うんだけどなあ。
つじと違って、名前むずい、うまく書けない。つじさん、ポンコツなんかじゃない、スラム街船橋も悪くない」

2019(37歳)
「競馬はロマンと言われたオジュウの有馬記念、近所に住んでいるにも関わらず雨が降ったから不参加でした。徹夜をして開門ダッシュで席取レースをしていたあの頃の情熱はどこへ…
つじさんが通勤で同じ路線を使っていることを知る。
ドラマじゃないけど上下線ですれ違ってるかもね。自分も毎日乗ってる。
去年はアロワナ(ベニオ君)が星になったりと悲しい出来事もあった。「ポンコツ日記」も終了したよね。
自分のおすすめマンガは「ザ・ファブル」前作と違って女性支持も高いのでぜひ。シリアスな人間ドラマの中にシュールな笑いのある小説のような映画のような作品。マンガをバカにして月曜日の朝の幸せを知らない人々に知ってほしい。
正月の朝、ポストを開ける期待と不安。いつからかそれは信頼と安心に。
平成は終わるけれど年賀状マラソンは時代を超えていく。では。」

2020(38歳)
「『哀しみは、川に流して翔べ』哀川翔、なんてカッコイイ芸名なんだと、俺も翔さんのような不良中年になりたいなと思っていたあの頃。現実はナイスミドルにもオードリーにもなれず、薄くなる頭を見て、飛び込みもアクションもできないジェイソン・ステイサムになるのかなと不安になる今日この頃。
つじさん、俺は日向坂とかいう小娘に鼻の下を伸ばす情けない男になりました。
失敗も哀しみも笑いにして翔びたいね。」

2021(39歳)
「在宅ともテレワークとも無縁の青空ワークの日々の中で、休校中の小学生が『くねくね』と乗るボードに興味を持ち、『遊び心』も『勇気』も忘れてしまったけれど『ブレイブボード』の練習を始め、調子に乗って、そのまま39歳『スケボー』デビュー。
授業中に隣の子の笑顔が見たくてふざけていたあの頃。密になることなく日々は流れ、高校生だった自分も春には40歳になる。そんな近くて遠い二人のソーシャルディスタンス。」


と、言う訳で。



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遊びまわって全然家に居ない不良娘に少し呆れた顔の母親が作ってくれるお雑煮は絶品だ。
お腹が空いていないとは到底言える雰囲気ではない。

少し無理してお雑煮を食べながら「今日も夕方から友達と新年会で飲みに行くから…」と言い出すタイミングを
見計らっていたが、遂に言い出すことが出来ないまま、母親はスーパーに買い物に行ってしまった。


2022(40歳)NEW!!!
「『宵越しの金は持たない』と本能のまま生きた20代、『堅実に生きよう』と長いフリーター生活から就職し、
働き始めた30代、しかし人間そう簡単に変われるわけもなく『飛ばない豚は、ただの豚』というように
『芸人でないクズはただのクズ』ということで、『花束』とも『札束』とも無縁のまま『恋』をすることもなく、相変わらずアイドルとその番組MC若林に夢中になり、スケボーの練習したりする日々。
月日が流れ、住所や名前が変わったり戻ったり…。世間から見ればつじさんと自分は『ポンコツ』と『クズ』に見えるかもしれないけど、そんな傷だらけの人生を生きる二人は『足りない二人』
年賀状マラソン、40代突入です、いままでありがとう。そしてこれからもよろしく。




こんなにも痺れる文章を書けるナタリーを私は心から羨ましく思う。
毎年お正月に、いままで貰った年賀状を並べて読み返している。傍目から見るとカルタ遊びのように見えるそれは私の大切な儀式だ。

こちらこそ今までありがとう。
そして、これからもどうぞ宜しくね。




相変わらず仕事は辛くて大変だし、お金はないし、友達にも全然会えてないけれど、父親の一周忌をうっかり忘れてしまうくらい、毎日なにかが起こっています。

去年は全く買わなかったのに新しい服やアクセサリーを買ったりしているし、観たい映画やお笑いや落語が無限にあるので、止まっている時間は全然なさそう。



父さん、そんな訳で私はとても元気に暮らしています。







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by majissukaaa | 2022-01-02 12:44 | 年賀状マラソン | Comments(0)


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