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つじのポンコツ日記

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2023年 01月 01日

年賀状マラソン2023

家を出て5分も歩けば、猫が10匹くらい居る町で暮らし始めて半年程が経過した。


明け方4時過ぎに猫の喧嘩の声で目が覚める。近所の猫たちにもどうやら派閥というものがあるらしい。
猫の世界にもきっと色々あって大変なんだよね。


すぐ隣の家にいる白猫の家族は4匹だか5匹だか、一体どこまでが家族なんだか分からないほどだし、
寒いので彼らがひっついてる様子を見ると、大きい鏡餅のように見えてくる。




昨年は、大晦日に鶯谷の萩の湯で銭湯納めをして、元日には浅草のまつり湯で銭湯始めをしたけれど、
引っ越してから都内の銭湯には殆ど行っておらず、もっぱら近所のスーパー銭湯とコミュニティ銭湯の往復の日々。


近所のコミュニティ銭湯は、450円でサウナも無料というバグった価格設定が本当に心配で、長期存続を願って可能な限り行くようにしているのですが、先日480円に価格が見直しされていたので、ちょっと良かったと思いました(そう、ちょっとだけ)


コミュニティ銭湯でよく聞く常連の横暴ぶりはそこまで無くて、見ない顔の私に対しても気さくに挨拶してくれる。
気になるとすればサウナ室にケロヨン桶を持ち込んで、それを枕にして寝ているお婆さんが居る事くらい。
あとは水風呂に貼られている「浴槽でマスクを洗わないでください」という注意書きか。




7月に流行病に倒れて、ちゃんと高熱が出て信じられないくらい喉が痛くなって数日間寝込んだ結果、体重が2キロ減った。
(元々ペラペラボディの私の体重が2キロ減るという事はかなり深刻なこと)

10日間の療養後は歩くだけで息切れするし、階段は登れないし、かなり体調に不安があったけれど
割とすぐに元気に戻った方だと思う。
社内の人の中には、コロナ後遺症で長期出社できていない人も居るので、こればかりは本当に個人差だと思った。

健康は本当に大切だよなぁ、と言いながら昼から酎ハイを飲む暮らしは果たしていつまで続くのか。




二人暮らしの良いところは、人が作ったご飯を食べることが出来る&自分が作ったご飯を食べて貰えるということ。
どちらか一方だけでは駄目で、やっぱりお互いに作ったり作られたりすることで新たな発見がある、だから料理は楽しい。

炊飯器とテレビがない家だけど、今のところ特に問題は発生しておらず、米なんかは鍋で炊く方が断然に早くてうまい。
同居人は米を炊く技術と食べる量が卓越しており、あるとき1日に7合の米を炊いている様子を見た時には流石に目を疑った。
(寝起きに激辛カレーを400グラムの米で食べてすぐ汗だくで出社していったこともあり、これは流石に笑ってしまった)

私たちは近所のJA直売所のヘビーユーザーなので、ほぼ毎週開始時刻に出向き、近所の方が作った野菜を大量購入している。
夏はピーマン、オクラ、茗荷。今の時期だと大根、白菜、ゆずがお気に入り。

いびつな形ほど愛おしいと思うのは野菜も人も皆同じだ。





春過ぎから私の貧血の要因である子宮筋腫に対する治療を開始して、とんでもなく高価な薬を飲んだりした。
(一錠飲むごとに「これが…400円…」などと遠い目をしながら)
今は薬が変わって安価なものになったのでそれ自体は良いけれど、代わりに副作用が頻発するようになってしまった。
服用期間が長くなれば体が慣れてくるという話ではあるけれど、今の不安定な症状はかなりしんどいものがある。

身体ってマジむずいっすわと言いながら水風呂で瞑想している女が居たらそれは私です。





さて、毎年恒例の年賀状マラソン、走り続けて、とうとう26年目。


宜しければお正月のお供に、まずは過去5年分の記事をどうぞ。



それでは今年も、毎度お馴染みのコピペ記事にてお送りします。

「いい加減、exciteブログからnoteに記事を移行したいと思い続けて二年が経過…」と昨年書いていましたが、今の今までそんなことすら失念しておりました。


それではどうぞ!






私はもう何年も、毎年一枚だけ年賀状を書いています。

1998年から始まったそれは、あっという間に今年で26枚目。
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わたしは16歳の頃からの欠かさない習慣として、たった一枚の年賀状を書き続けています。


教育熱心な両親の元、私は私立中学にお受験で入学した。


持ち上がりのまま付属の高校に進学したものの、ある時から急にクラスメイトに馴染めず孤立し、
実にあっさりと(ほぼ半年で)高校を辞めてしまった。
※ご存知の通りグレることなく、根暗で割と行儀のいい人間に育ちました


そんな短い高校生活のなか、授業と言えば、英語と数学だけはクラス関係無い学力別という残酷なシステムを採用していました。

数学の授業に関して見事に最低レベルクラス所属の私は授業中に500ml紙パックの苺ミルクオーレを飲みながらうたた寝をして教師に呼び出しを喰らう有様。

プールの授業後でひどく疲れていたと云う言い訳は一切聞いてもらえずよく怒られていた。
そんな数学の授業で、 うちの高校には珍しく、中学からの持ち上がりではなくて 通常の受験で入学してきた変わり者の男子生徒が居た。

仮の名を「ナタリー」とする。

当時彼は、映画の「レオン」が大好きで、 ナタリーポートマンを崇拝していた。
授業中は主にナタリーの写真の切り抜きをノートに貼る作業。
もしくは、自作の漫画やイラスト等を描いていた様に記憶している。

たまに彼と席が隣になると、馬鹿なことを話しては笑い教師に睨まれ、しかし次の週にはまたイラストを見せ合い笑い、怒られるという阿呆な日々。
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ナタリーとはクラスが違ったので、数学の授業でのみ交流があった。

風の噂でナタリーと同じクラスの子から、 「音楽の授業に早弁(腹が減ったので弁当を昼食まで待てず喰うこと)をしていた」 という伝説等を耳にした。

音楽の授業中に早弁…! 尊敬に近い感情を持ったまま、 高校からフェードアウトしてしまった私は、 なんとなくその年のお正月、彼に年賀状を出してみる事にした。

もちろん携帯電話など無いポケベル世代真っ只中。 連絡を取る手段なんて実家の電話しかない、そんな化石のような時代のおはなし。それが1998のこと。


そして。返事が来た。


以来、実に26年もの間、年賀状のみのやり取りをしている。

私もナタリーもお互い、絶対に年賀状を書き続けている。
ちなみに家は非常に近い。 実家から電車でほんの20分程度かと思われる。

しかし、ポケベル世代だった私たちは、当たり前だけれど メールアドレスも電話番号も知らないし、連絡も一切取ることなく、会ってもいない。

あの教室の、隣の席で話したっきり時間は止まり、26年が経っている。 それでも絶大な信頼感はお互いに感じていて、 それが心地よくて、毎年元旦の朝を迎えている。
以下、抜粋した記録をお届けしたいと思う。 ナタリーからの年賀状達。 (通称:「年賀状マラソン」)

年賀状マラソン2023_f0308281_18024171.jpg




1998(16歳)
「まさかつじさんから年賀状が来るなんて驚いた! 数学の授業中に話す事が出来なくて残念だけど、まぁ頑張るさ。 いつか又お洒落なハガキをください。あなたはおもしろい。」

1999(17歳)
「返事が来ないと思いつつ年賀状を書きました。 ぼくは今郵便局でバイト中です。いまでも貰ったハサミを使っていると 君のことを考える時があります」

2000(18歳)
「グレたりしないで人生を楽しんでいますか?俺は、大学に行っても勉強もしないでバイトばかりしそうな気がするので、専門に行こうかなぁと考えています。最近筋トレにハマっています」

2001(19歳)
※わたしの引っ越しの混乱により、年賀状紛失

2002(20歳)
「はるばる上野の予備校に通ったものの受験に失敗して、スベリ止めの 卵の白身のカロリーくらいしかない大学に通っています。 同じ大学の加藤あいには会えないし、つまらないです」

2003(21歳)
「俺は結局、大学を辞めてフリーターになってしまいました。 今は主婦と仲良くスーパーで働いています。趣味で料理をはじめました。 得意料理は親子丼とホットケーキです」

2004(22歳)
「俺は相変わらずフリーターのままです。働いていたスーパーが潰れたので肉屋の総菜コーナーで働いています。映画鑑賞が趣味です。 (猟奇的な彼女)には負けました。マジで面白いのでオススメです。」

2005(23歳)
「肉屋の総菜を辞めてニートを経て、化粧品のピッキングをしています。去年はよく競馬に行きました。休日は中山競馬場でオヤジ達と絶叫する日々。 映画は、スウィングガールズが良かった!」

2006(24歳)
「引っ越した。一人暮らし。貧しいけれど、自由気侭なフリーター人生。 基本週5日のバイトと、土日にたまに派遣で働いてる。 でも競馬に行ってるから貧乏な生活。クリスマスも競馬の為にアスファルトの上で場所取りしてたよ」

2007(25歳)
「なんやかんやで、つじさんとの年賀状マラソンも10年目。 お互いに年を取っちゃったね。あの日数学の授業で隣同士にならなかったら、 この手紙は有り得なかったと考えると、不思議というか、スゴイと思います」

2008(26歳)
「お元気ですか?年賀状男のナタリーです。 人生順調ですか?俺は人生初のインフルエンザになりました。 昔は、映画を作るのが夢だったけど、映画館の建設というかけ離れた仕事をしたり、競馬をしたり映画を観たりしました。 つまりは無意味な日々」

2009(27歳)
「年賀状男のナタリーです。いつかは返事の無い年がくるんだろうなぁと思い寂しく思う年末です。俺はワーキングプアの極みに達しました。 去年は人生で最も働き、最も金を使いました。週7日間働いたり、 トリプルワークにチャレンジしたり。 俺は必死に大人になる事から逃げているのかも知れません。」

2010(28歳)
「家はあるのに家には帰らず、公園のベンチで月を見ながら、 堕ちたもんだと呟く。お互い年を取ったね。今年はマンガにはまりました。 お薦めはボーイズ・オン・ザ・ラン、なにわ友あれ。 20代最後の年をマクっていきたいなぁ。 」

2011(29歳)
「酒に溺れたり、ギャンブルにハマったりろくでもない20代を過ごしましたが、 4月には30歳になります。世間じゃあダメ人間と言われる俺だけど、 なんとかなるだろう、の風まかせ精神で生きてきました。 高1を最後に一度も会わず14年目の年賀状。これって凄いよね。 つじさんの味のある年賀状が好きだなぁ。エセOL生活頑張って下さい! 俺はエセ職人。上下寅一の服で居たりする。では。」

2012(30歳)
「ずっと先だと思っていた30代、30才って大人のイメージだったなぁ。 でも現実は30才になったからと言って何かが変わるわけでもなく、一日が終わり、明日へ続く日々。 月曜日の朝にランドセルの小学生が『ジャンプ』を立ち読みしている姿を見て昔の自分を思い出しながら、その隣で『ヤンマガ』を読む。 感性は変わっても生き方は変わってない、そんな僕です。」


2013(31歳)
「2人で平成の神話を目指そう。ということでナタリーです。 プー→フリーター→ニート→ハローワーカー→就職と、ドラマチックでない ロンバケを9ヶ月程過ごしました。 ぎっちりと味のある字で読んで楽しいつじさんの年賀状を見た時に、 ananの林真理子のエッセイよりスゴイのになぁ、と思うナタリーです。 エセOLをしているなんてもったいない。まぁ人生いろいろあると思いますが、 40代になっても続けたいね、年賀状マラソン。 仕事はもちろんリーマンではなく、鉄関係の職人を目指して働いているナタリーでした。」


2014(32歳)
「今年は書くのがスロースタートでした。でももちろん書くよ、絶対に。年賀状マラソンの決意を決めた、去年の年賀状。じぇ!じぇ!な内容に、体大丈夫?笑ったり心配させたりするつじさんの年賀状は自分にとって、最高のエッセイだよ。[あまちゃん]にハマり、漫画[新宿スワン]の終了にショックを受け、[競馬]から完全に足を洗い、ロトに夢を見る。そう、大人になれないナタリーです。だけど、年賀状は続けていくよ、まだまだずーっと」


2015(33歳)
「映画館で流れていたタバコCMをカッコイイと思っていた少年は、キャラではなく【不器用な人生】を生きることに…最近、金運上昇を期待して金魚を飼い始めました。ペットショップではなく、養魚場まで行く気合の入りようです。が、ロト6も馬券にも効果はいまのところ…パクパクと口を動かしながら泳ぐ姿は酒の肴としては楽しめるけどね。【同じ月を見ている】ってマンガが、不器用な男の生き様として泣ける、おすすめです」

2016(34歳)
「あの教室はもうないけれど、京成に乗って二人で止まった時間を動かしに行こうか?と言うことで、ナタリーです。
ブログ読んだよ。”年賀状マラソン”は二人で続けてきた平成の神話だけど(今の中高生には無理だよね)知らないところでつじさんの力になれたみたいで嬉しいなあ。ブログ楽しみにしてたよ。でも、才能が酒でおぼれているような気も!?去年の年賀状に書いてあった”夢”、悪夢になるかもしれないけど気持ちが変わらないなら、ぜひ」

2017(35歳)
「祝・年賀状マラソン20年目突入。15才の春に出会った二人も35才になりました。
制服姿だったあの子も今では人妻に…という事で結婚おめでとう。
つじさんの友人の脚本家と同じ学校を受験した19才の冬を思い出しました。
面接で【エロじゃなくて暴力映画でR−18になりたい】と熱く語り、不合格になったバカだったあの頃。
ずーっと言い続けてるけど、つじさんのエッセイストの才能は凄いからね。闘病ブログに笑いを持ってきた唯一無二の存在なんだから。ポンコツOLの芝レースからダート路線に行くのを待ってます。クロフネになってね。」

2018(36歳)
「小学生の頃、犬を飼いたかった少年は30代になり、魚(アロワナ)のベニオ君(4才)と生活することに…
好物はローソンセレクト、スモークタン。つじさんは犬派?猫派?馬という答えはなしです。
という事で、今年も続く年賀状マラソン、少し前から人目に晒され、観客の中を走ることに…
本当はつじさんからの年賀状が読みたいと思うんだけどなあ。
つじと違って、名前むずい、うまく書けない。つじさん、ポンコツなんかじゃない、スラム街船橋も悪くない」

2019(37歳)
「競馬はロマンと言われたオジュウの有馬記念、近所に住んでいるにも関わらず雨が降ったから不参加でした。徹夜をして開門ダッシュで席取レースをしていたあの頃の情熱はどこへ…
つじさんが通勤で同じ路線を使っていることを知る。
ドラマじゃないけど上下線ですれ違ってるかもね。自分も毎日乗ってる。
去年はアロワナ(ベニオ君)が星になったりと悲しい出来事もあった。「ポンコツ日記」も終了したよね。
自分のおすすめマンガは「ザ・ファブル」前作と違って女性支持も高いのでぜひ。シリアスな人間ドラマの中にシュールな笑いのある小説のような映画のような作品。マンガをバカにして月曜日の朝の幸せを知らない人々に知ってほしい。
正月の朝、ポストを開ける期待と不安。いつからかそれは信頼と安心に。
平成は終わるけれど年賀状マラソンは時代を超えていく。では。」

2020(38歳)
「『哀しみは、川に流して翔べ』哀川翔、なんてカッコイイ芸名なんだと、俺も翔さんのような不良中年になりたいなと思っていたあの頃。現実はナイスミドルにもオードリーにもなれず、薄くなる頭を見て、飛び込みもアクションもできないジェイソン・ステイサムになるのかなと不安になる今日この頃。
つじさん、俺は日向坂とかいう小娘に鼻の下を伸ばす情けない男になりました。
失敗も哀しみも笑いにして翔びたいね。」

2021(39歳)
「在宅ともテレワークとも無縁の青空ワークの日々の中で、休校中の小学生が『くねくね』と乗るボードに興味を持ち、『遊び心』も『勇気』も忘れてしまったけれど『ブレイブボード』の練習を始め、調子に乗って、そのまま39歳『スケボー』デビュー。
授業中に隣の子の笑顔が見たくてふざけていたあの頃。密になることなく日々は流れ、高校生だった自分も春には40歳になる。そんな近くて遠い二人のソーシャルディスタンス。」


2022(40歳)
「『宵越しの金は持たない』と本能のまま生きた20代、『堅実に生きよう』と長いフリーター生活から就職し、働き始めた30代、しかし人間そう簡単に変われるわけもなく『飛ばない豚は、ただの豚』というように
『芸人でないクズはただのクズ』ということで、『花束』とも『札束』とも無縁のまま『恋』をすることもなく、相変わらずアイドルとその番組MC若林に夢中になり、スケボーの練習したりする日々。
月日が流れ、住所や名前が変わったり戻ったり…。世間から見ればつじさんと自分は『ポンコツ』と『クズ』に見えるかもしれないけど、そんな傷だらけの人生を生きる二人は『足りない二人』
年賀状マラソン、40代突入です、いままでありがとう。そしてこれからもよろしく。」



、言う訳で。



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今年の元旦もやっぱり年賀状は届いているのです。


2023(41歳)NEW!!!
「『推しは推せる時に推せ』と言うけれど、いつか来る日向坂46キャプテンの卒業に不安を感じたり、成長のないスケボーに悩んだりする日々…
『こんな40代でいいのか?』と思いつつ、今の会社で働き始めて10年が過ぎる。社会で働くと数学の授業よりも辛くてつまらない事が多いけど、そんな日々の中で初めての出会いや経験に小さな幸せを感じつつ今日を生きる。
『この味がいいね』と言った君を想う日高屋の夜。チゲ味噌記念日」



爽快で軽快、ナタリーの紡ぐ言葉はいつだって胸を打つ。

あの頃の自分と今の自分のギャップに歯痒くて、時には他人と比較したりして落ち込んだりすることもあるけれど、
ずっと変わらないものが自分の自信になったり、かけがえのない宝物になったりもする。



今年も穏やかに、ラジオを聴いてお笑いを見て、うまい酒を呑んで沢山笑って過ごしていきたいと思います。
目標は無駄遣いをしないことと、健康寿命を伸ばすための運動をすること。
あとは酒の肴のレパートリーを増やすことと、新しいサウナハットを買う事(買いなさいよ)


これを読んでくれたあなたにとっても、良い一年になりますように。


そう!そこの!そこのあなたのことだよ!

いつも気にかけてくれて有難う、愛してます!






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# by majissukaaa | 2023-01-01 13:30 | 年賀状マラソン | Comments(2)
2022年 01月 02日

年賀状マラソン2022


「父さんへ、私はこれからも陽気に生きていこうと思います、きっと人生にはチャンスしか転がっていないと思うので」


これは昨年の年賀状マラソンの記事にて最後に綴った言葉です。


一昨年、2020年の後半は本当にどん底で、眠れなくて食べられないのにお酒だけは少し飲めるという都合のいい体調不良の身体を引き摺って暮らしていた。


最低な気持ちのままスタートした2021年はエンジンが掛かるまで結構時間がかかってしまった。


整体に行ったときに「なにか運動をした方がいい」というアドバイスを貰ってジョギングを始めたのが1月末だったか。
最初は3分走っただけで動けなくなっていたけれど、続けるうちに無心で走ることが出来るようになって毎週末に5km~6km、調子がいいと10kmくらい走れるようになっていた。
梅雨入りとともに「雨だし危ないから」という言い訳と共にちゃんとサボるようになったので、きっと心身の調子を取り戻したってことなんだと思う。そういう事にしておいてくれ。




ジョギングをサボると同時に風呂通いが始まった。

「風呂上がりのビールは格別にうまい」というタレコミがあったからだ。

私はもともと風呂が嫌いで、出来ることなら入浴を避けて生きていきたい位に思っていたけれど、
行ってみたら世界が一変した。完全にチャクラが開きました。チャクラが何かは知りませんが…

銭湯とサウナはとにかく凄かった。
入浴後のビールはぼろぼろの私を救ってくれた。





2021年は例年と比較して相当良い音楽ライブを観ることができた(音楽ライブって言い方なんなの)

2021/3/20
トミヤマカズヤスマキ/ファックマツモト(居酒屋ちどり)

2021/4/23「MARK3020」
SuiseiNoboAz(TSUTAYA O-EAST)

2021/5/4 「THE MATSURI SESSION」(日比谷野外音楽堂/無観客配信)
NUMBER GIRL/ZAZEN BOYS


他にも、NUMBER GIRLのワンマン、超前列ど真ん中で号泣したり、ZAZEN BOYSのワンマンに二回行ったり、念願の真黒毛ぼっくすと曽我部恵一さんのライブを観ることができたり、かなり充実していたように思う。

これは書くか迷いましたが、SuiseiNoboAzとサニーデイ・サービスの2マンが見たくて、このご時世に一人で大阪まで行ったりもしました…





2022年、いっちょベタなことでもしてみっか!と思い立ち、大晦日には行きつけの銭湯に行き、
元旦に生まれて初めて浅草に行ってみた。とんでもねえ長蛇の列を見て二秒でお参りを断念。

ホッピー通りに吸い込まれ、焼酎のお湯割りを飲んだ瞬間に、「今年はきっと良い一年になる」そう思った。




毎年恒例の年賀状マラソン、走り続けて、とうとう25年目。
あの頃に想像していた大人とは程遠いけれど、全然悪くないじゃんね。

宜しければお正月のお供に、まずは過去5年分の記事をどうぞ。


それでは今年も、毎度お馴染みのコピペ記事にてお送りします。
いい加減、exciteブログからnoteに記事を移行したいと思い続けて二年が経過…
果たして今後はどうなることか…

それではどうぞ!






私はもう何年も、毎年一枚だけ年賀状を書いています。

1998年から始まったそれは、あっという間に今年で25枚目。
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わたしは16歳の頃からの欠かさない習慣として、たった一枚の年賀状を書き続けています。


教育熱心な両親の元、私は私立中学にお受験で入学した。


持ち上がりのまま付属の高校に進学したものの、ある時から急にクラスメイトに馴染めず孤立し、
実にあっさりと(ほぼ半年で)高校を辞めてしまった。
※ご存知の通りグレることなく、根暗で割と行儀のいい人間に育ちました


そんな短い高校生活のなか、授業と言えば、英語と数学だけはクラス関係無い学力別という残酷なシステムを採用していました。

数学の授業に関して見事に最低レベルクラス所属の私は授業中に500ml紙パックの苺ミルクオーレを飲みながらうたた寝をして教師に呼び出しを喰らう有様。

プールの授業後でひどく疲れていたと云う言い訳は一切聞いてもらえずよく怒られていた。
そんな数学の授業で、 うちの高校には珍しく、中学からの持ち上がりではなくて 通常の受験で入学してきた変わり者の男子生徒が居た。

仮の名を「ナタリー」とする。

当時彼は、映画の「レオン」が大好きで、 ナタリーポートマンを崇拝していた。
授業中は主にナタリーの写真の切り抜きをノートに貼る作業。
もしくは、自作の漫画やイラスト等を描いていた様に記憶している。

たまに彼と席が隣になると、馬鹿なことを話しては笑い教師に睨まれ、しかし次の週にはまたイラストを見せ合い笑い、怒られるという阿呆な日々。
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ナタリーとはクラスが違ったので、数学の授業でのみ交流があった。

風の噂でナタリーと同じクラスの子から、 「音楽の授業に早弁(腹が減ったので弁当を昼食まで待てず喰うこと)をしていた」 という伝説等を耳にした。

音楽の授業中に早弁…! 尊敬に近い感情を持ったまま、 高校からフェードアウトしてしまった私は、 なんとなくその年のお正月、彼に年賀状を出してみる事にした。

もちろん携帯電話など無いポケベル世代真っ只中。 連絡を取る手段なんて実家の電話しかない、そんな化石のような時代のおはなし。それが1998のこと。


そして。返事が来た。


以来、実に25年もの間、年賀状のみのやり取りをしている。

私もナタリーもお互い、絶対に年賀状を書き続けている。
ちなみに家は非常に近い。 電車でほんの20分程度かと思われる。

しかし、ポケベル世代だった私たちは、当たり前だけれど メールアドレスも電話番号も知らないし、連絡も一切取ることなく、会ってもいない。

あの教室の、隣の席で話したっきり時間は止まり、25年が経っている。 それでも絶大な信頼感はお互いに感じていて、 それが心地よくて、毎年元旦の朝を迎えている。
以下、抜粋した記録をお届けしたいと思う。 ナタリーからの年賀状達。 (通称:「年賀状マラソン」)


年賀状マラソン2022_f0308281_09375238.jpg






1998(16歳)
「まさかつじさんから年賀状が来るなんて驚いた! 数学の授業中に話す事が出来なくて残念だけど、まぁ頑張るさ。 いつか又お洒落なハガキをください。あなたはおもしろい。」

1999(17歳)
「返事が来ないと思いつつ年賀状を書きました。 ぼくは今郵便局でバイト中です。いまでも貰ったハサミを使っていると 君のことを考える時があります」

2000(18歳)
「グレたりしないで人生を楽しんでいますか?俺は、大学に行っても勉強もしないでバイトばかりしそうな気がするので、専門に行こうかなぁと考えています。最近筋トレにハマっています」

2001(19歳)
※わたしの引っ越しの混乱により、年賀状紛失

2002(20歳)
「はるばる上野の予備校に通ったものの受験に失敗して、スベリ止めの 卵の白身のカロリーくらいしかない大学に通っています。 同じ大学の加藤あいには会えないし、つまらないです」

2003(21歳)
「俺は結局、大学を辞めてフリーターになってしまいました。 今は主婦と仲良くスーパーで働いています。趣味で料理をはじめました。 得意料理は親子丼とホットケーキです」

2004(22歳)
「俺は相変わらずフリーターのままです。働いていたスーパーが潰れたので肉屋の総菜コーナーで働いています。映画鑑賞が趣味です。 (猟奇的な彼女)には負けました。マジで面白いのでオススメです。」

2005(23歳)
「肉屋の総菜を辞めてニートを経て、化粧品のピッキングをしています。去年はよく競馬に行きました。休日は中山競馬場でオヤジ達と絶叫する日々。 映画は、スウィングガールズが良かった!」

2006(24歳)
「引っ越した。一人暮らし。貧しいけれど、自由気侭なフリーター人生。 基本週5日のバイトと、土日にたまに派遣で働いてる。 でも競馬に行ってるから貧乏な生活。クリスマスも競馬の為にアスファルトの上で場所取りしてたよ」

2007(25歳)
「なんやかんやで、つじさんとの年賀状マラソンも10年目。 お互いに年を取っちゃったね。あの日数学の授業で隣同士にならなかったら、 この手紙は有り得なかったと考えると、不思議というか、スゴイと思います」

2008(26歳)
「お元気ですか?年賀状男のナタリーです。 人生順調ですか?俺は人生初のインフルエンザになりました。 昔は、映画を作るのが夢だったけど、映画館の建設というかけ離れた仕事をしたり、競馬をしたり映画を観たりしました。 つまりは無意味な日々」

2009(27歳)
「年賀状男のナタリーです。いつかは返事の無い年がくるんだろうなぁと思い寂しく思う年末です。俺はワーキングプアの極みに達しました。 去年は人生で最も働き、最も金を使いました。週7日間働いたり、 トリプルワークにチャレンジしたり。 俺は必死に大人になる事から逃げているのかも知れません。」

2010(28歳)
「家はあるのに家には帰らず、公園のベンチで月を見ながら、 堕ちたもんだと呟く。お互い年を取ったね。今年はマンガにはまりました。 お薦めはボーイズ・オン・ザ・ラン、なにわ友あれ。 20代最後の年をマクっていきたいなぁ。 」

2011(29歳)
「酒に溺れたり、ギャンブルにハマったりろくでもない20代を過ごしましたが、 4月には30歳になります。世間じゃあダメ人間と言われる俺だけど、 なんとかなるだろう、の風まかせ精神で生きてきました。 高1を最後に一度も会わず14年目の年賀状。これって凄いよね。 つじさんの味のある年賀状が好きだなぁ。エセOL生活頑張って下さい! 俺はエセ職人。上下寅一の服で居たりする。では。」

2012(30歳)
「ずっと先だと思っていた30代、30才って大人のイメージだったなぁ。 でも現実は30才になったからと言って何かが変わるわけでもなく、一日が終わり、明日へ続く日々。 月曜日の朝にランドセルの小学生が『ジャンプ』を立ち読みしている姿を見て昔の自分を思い出しながら、その隣で『ヤンマガ』を読む。 感性は変わっても生き方は変わってない、そんな僕です。」


2013(31歳)
「2人で平成の神話を目指そう。ということでナタリーです。 プー→フリーター→ニート→ハローワーカー→就職と、ドラマチックでない ロンバケを9ヶ月程過ごしました。 ぎっちりと味のある字で読んで楽しいつじさんの年賀状を見た時に、 ananの林真理子のエッセイよりスゴイのになぁ、と思うナタリーです。 エセOLをしているなんてもったいない。まぁ人生いろいろあると思いますが、 40代になっても続けたいね、年賀状マラソン。 仕事はもちろんリーマンではなく、鉄関係の職人を目指して働いているナタリーでした。」


2014(32歳)
「今年は書くのがスロースタートでした。でももちろん書くよ、絶対に。年賀状マラソンの決意を決めた、去年の年賀状。じぇ!じぇ!な内容に、体大丈夫?笑ったり心配させたりするつじさんの年賀状は自分にとって、最高のエッセイだよ。[あまちゃん]にハマり、漫画[新宿スワン]の終了にショックを受け、[競馬]から完全に足を洗い、ロトに夢を見る。そう、大人になれないナタリーです。だけど、年賀状は続けていくよ、まだまだずーっと」


2015(33歳)
「映画館で流れていたタバコCMをカッコイイと思っていた少年は、キャラではなく【不器用な人生】を生きることに…最近、金運上昇を期待して金魚を飼い始めました。ペットショップではなく、養魚場まで行く気合の入りようです。が、ロト6も馬券にも効果はいまのところ…パクパクと口を動かしながら泳ぐ姿は酒の肴としては楽しめるけどね。【同じ月を見ている】ってマンガが、不器用な男の生き様として泣ける、おすすめです」

2016(34歳)
「あの教室はもうないけれど、京成に乗って二人で止まった時間を動かしに行こうか?と言うことで、ナタリーです。
ブログ読んだよ。”年賀状マラソン”は二人で続けてきた平成の神話だけど(今の中高生には無理だよね)知らないところでつじさんの力になれたみたいで嬉しいなあ。ブログ楽しみにしてたよ。でも、才能が酒でおぼれているような気も!?去年の年賀状に書いてあった”夢”、悪夢になるかもしれないけど気持ちが変わらないなら、ぜひ」

2017(35歳)
「祝・年賀状マラソン20年目突入。15才の春に出会った二人も35才になりました。
制服姿だったあの子も今では人妻に…という事で結婚おめでとう。
つじさんの友人の脚本家と同じ学校を受験した19才の冬を思い出しました。
面接で【エロじゃなくて暴力映画でR−18になりたい】と熱く語り、不合格になったバカだったあの頃。
ずーっと言い続けてるけど、つじさんのエッセイストの才能は凄いからね。闘病ブログに笑いを持ってきた唯一無二の存在なんだから。ポンコツOLの芝レースからダート路線に行くのを待ってます。クロフネになってね。」

2018(36歳)
「小学生の頃、犬を飼いたかった少年は30代になり、魚(アロワナ)のベニオ君(4才)と生活することに…
好物はローソンセレクト、スモークタン。つじさんは犬派?猫派?馬という答えはなしです。
という事で、今年も続く年賀状マラソン、少し前から人目に晒され、観客の中を走ることに…
本当はつじさんからの年賀状が読みたいと思うんだけどなあ。
つじと違って、名前むずい、うまく書けない。つじさん、ポンコツなんかじゃない、スラム街船橋も悪くない」

2019(37歳)
「競馬はロマンと言われたオジュウの有馬記念、近所に住んでいるにも関わらず雨が降ったから不参加でした。徹夜をして開門ダッシュで席取レースをしていたあの頃の情熱はどこへ…
つじさんが通勤で同じ路線を使っていることを知る。
ドラマじゃないけど上下線ですれ違ってるかもね。自分も毎日乗ってる。
去年はアロワナ(ベニオ君)が星になったりと悲しい出来事もあった。「ポンコツ日記」も終了したよね。
自分のおすすめマンガは「ザ・ファブル」前作と違って女性支持も高いのでぜひ。シリアスな人間ドラマの中にシュールな笑いのある小説のような映画のような作品。マンガをバカにして月曜日の朝の幸せを知らない人々に知ってほしい。
正月の朝、ポストを開ける期待と不安。いつからかそれは信頼と安心に。
平成は終わるけれど年賀状マラソンは時代を超えていく。では。」

2020(38歳)
「『哀しみは、川に流して翔べ』哀川翔、なんてカッコイイ芸名なんだと、俺も翔さんのような不良中年になりたいなと思っていたあの頃。現実はナイスミドルにもオードリーにもなれず、薄くなる頭を見て、飛び込みもアクションもできないジェイソン・ステイサムになるのかなと不安になる今日この頃。
つじさん、俺は日向坂とかいう小娘に鼻の下を伸ばす情けない男になりました。
失敗も哀しみも笑いにして翔びたいね。」

2021(39歳)
「在宅ともテレワークとも無縁の青空ワークの日々の中で、休校中の小学生が『くねくね』と乗るボードに興味を持ち、『遊び心』も『勇気』も忘れてしまったけれど『ブレイブボード』の練習を始め、調子に乗って、そのまま39歳『スケボー』デビュー。
授業中に隣の子の笑顔が見たくてふざけていたあの頃。密になることなく日々は流れ、高校生だった自分も春には40歳になる。そんな近くて遠い二人のソーシャルディスタンス。」


と、言う訳で。



年賀状マラソン2022_f0308281_12444260.jpg
年賀状マラソン2022_f0308281_10480629.jpg

遊びまわって全然家に居ない不良娘に少し呆れた顔の母親が作ってくれるお雑煮は絶品だ。
お腹が空いていないとは到底言える雰囲気ではない。

少し無理してお雑煮を食べながら「今日も夕方から友達と新年会で飲みに行くから…」と言い出すタイミングを
見計らっていたが、遂に言い出すことが出来ないまま、母親はスーパーに買い物に行ってしまった。


2022(40歳)NEW!!!
「『宵越しの金は持たない』と本能のまま生きた20代、『堅実に生きよう』と長いフリーター生活から就職し、
働き始めた30代、しかし人間そう簡単に変われるわけもなく『飛ばない豚は、ただの豚』というように
『芸人でないクズはただのクズ』ということで、『花束』とも『札束』とも無縁のまま『恋』をすることもなく、相変わらずアイドルとその番組MC若林に夢中になり、スケボーの練習したりする日々。
月日が流れ、住所や名前が変わったり戻ったり…。世間から見ればつじさんと自分は『ポンコツ』と『クズ』に見えるかもしれないけど、そんな傷だらけの人生を生きる二人は『足りない二人』
年賀状マラソン、40代突入です、いままでありがとう。そしてこれからもよろしく。




こんなにも痺れる文章を書けるナタリーを私は心から羨ましく思う。
毎年お正月に、いままで貰った年賀状を並べて読み返している。傍目から見るとカルタ遊びのように見えるそれは私の大切な儀式だ。

こちらこそ今までありがとう。
そして、これからもどうぞ宜しくね。




相変わらず仕事は辛くて大変だし、お金はないし、友達にも全然会えてないけれど、父親の一周忌をうっかり忘れてしまうくらい、毎日なにかが起こっています。

去年は全く買わなかったのに新しい服やアクセサリーを買ったりしているし、観たい映画やお笑いや落語が無限にあるので、止まっている時間は全然なさそう。



父さん、そんな訳で私はとても元気に暮らしています。







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# by majissukaaa | 2022-01-02 12:44 | 年賀状マラソン | Comments(0)
2021年 01月 01日

年賀状マラソン2021

iPhoneのカメラロールには上野、北千住、自宅での晩酌の風景ばかり。
ところが夏を過ぎた頃からは写真が一気に減った。

大好きな荒川区から実家の団地へ出戻り。
つまんない日々だよ、と書こうとしたけれど意外とそんなことはない。
母と二人の生活は笑うことが多いし、栄養満点の食事とのんびりした空気は悪くない。

不安定な気持ちのバランスを取るために書き綴ったnoteの記事は気付けば100本近くになっていた。
密かにファンだった人から「実はつじさんの文章好きなんですよ」と言われて嬉しかったあの日、本当はその場で踊り出したい程に嬉しかった。


離婚、父の死去、史上初のジャパンカップ三冠馬が同時に3頭出走、ウエストランド、M-1グランプリ初の決勝進出で出番がトリ、結果は奮わず翌週にコンビ揃ってコロナウイルス罹患。

訳わかんない2020年は本当にあっという間で、ほとんど記憶がありません。
右側の白髪だけ異常に増えた、どうすりゃいいって言うのよ。

コロナの影響で、あらゆる会社の飲み会がなくなったのは唯一の救いとも言えるけど。

例年の12月の自分のTwitterを見返していたら、ほぼ日高屋のチゲ味噌ラーメンとM-1グランプリの話しかしていませんでした。もっとお洒落な話をしなよ、コスメとかコロンとかさ、色々あるじゃん。



毎年恒例の年賀状マラソン、走り続けて、とうとう24年目。なにが良いって、私はあの頃から一ミリも変っちゃいないってことだ。

宜しければお正月のお供に、まずは過去5年分の記事をどうぞ。


それでは今年も、毎度お馴染みのコピペ記事にてお送りします。
コピペなのに何度読んでも面白いのは、年に一度だからか、それとも?


それではどうぞ!






私はもう何年も、毎年一枚だけ年賀状を書いています。

1998年から始まったそれは、あっという間に今年で24枚目。
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わたしは16歳の頃からの欠かさない習慣として、たった一枚の年賀状を書き続けています。


教育熱心な両親の元、私は私立中学にお受験で入学した。


持ち上がりのまま付属の高校に進学したものの、ある時から急にクラスメイトに馴染めず孤立し、
実にあっさりと(ほぼ半年で)高校を辞めてしまった。
※ご存知の通りグレることなく、根暗で割と行儀のいい人間に育ちました


そんな短い高校生活のなか、授業と言えば、英語と数学だけはクラス関係無い学力別という残酷なシステムを採用していました。

数学の授業に関して見事に最低レベルクラス所属の私は授業中に500ml紙パックの苺ミルクオーレを飲みながらうたた寝をして教師に呼び出しを喰らう有様。

プールの授業後でひどく疲れていたと云う言い訳は一切聞いてもらえずよく怒られていた。
そんな数学の授業で、 うちの高校には珍しく、中学からの持ち上がりではなくて 通常の受験で入学してきた変わり者の男子生徒が居た。

仮の名を「ナタリー」とする。

当時彼は、映画の「レオン」が大好きで、 ナタリーポートマンを崇拝していた。
授業中は主にナタリーの写真の切り抜きをノートに貼る作業。
もしくは、自作の漫画やイラスト等を描いていた様に記憶している。

たまに彼と席が隣になると、馬鹿なことを話しては笑い教師に睨まれ、しかし次の週にはまたイラストを見せ合い笑い、怒られるという阿呆な日々。
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ナタリーとはクラスが違ったので、数学の授業でのみ交流があった。

風の噂でナタリーと同じクラスの子から、 「音楽の授業に早弁(腹が減ったので弁当を昼食まで待てず喰うこと)をしていた」 という伝説等を耳にした。

音楽の授業中に早弁…! 尊敬に近い感情を持ったまま、 高校からフェードアウトしてしまった私は、 なんとなくその年のお正月、彼に年賀状を出してみる事にした。

もちろん携帯電話など無いポケベル世代真っ只中。 連絡を取る手段なんて実家の電話しかない、そんな化石のような時代のおはなし。それが1998のこと。


そして。返事が来た。


以来、実に24年もの間、年賀状のみのやり取りをしている。

私もナタリーもお互い、絶対に年賀状を書き続けている。
ちなみに家は非常に近い。 電車でほんの20分程度かと思われる。

しかし、ポケベル世代だった私たちは、当たり前だけれど メールアドレスも電話番号も知らないし、連絡も一切取ることなく、会ってもいない。

あの教室の、隣の席で話したっきり時間は止まり、24年が経っている。 それでも絶大な信頼感はお互いに感じていて、 それが心地よくて、毎年元旦の朝を迎えている。
以下、抜粋した記録をお届けしたいと思う。 ナタリーからの年賀状達。 (通称:「年賀状マラソン」)
年賀状マラソン2021_f0308281_10574849.jpg






1998(16歳)
「まさかつじさんから年賀状が来るなんて驚いた! 数学の授業中に話す事が出来なくて残念だけど、まぁ頑張るさ。 いつか又お洒落なハガキをください。あなたはおもしろい。」

1999(17歳)
「返事が来ないと思いつつ年賀状を書きました。 ぼくは今郵便局でバイト中です。いまでも貰ったハサミを使っていると 君のことを考える時があります」

2000(18歳)
「グレたりしないで人生を楽しんでいますか?俺は、大学に行っても勉強もしないでバイトばかりしそうな気がするので、専門に行こうかなぁと考えています。最近筋トレにハマっています」

2001(19歳)
※わたしの引っ越しの混乱により、年賀状紛失

2002(20歳)
「はるばる上野の予備校に通ったものの受験に失敗して、スベリ止めの 卵の白身のカロリーくらいしかない大学に通っています。 同じ大学の加藤あいには会えないし、つまらないです」

2003(21歳)
「俺は結局、大学を辞めてフリーターになってしまいました。 今は主婦と仲良くスーパーで働いています。趣味で料理をはじめました。 得意料理は親子丼とホットケーキです」

2004(22歳)
「俺は相変わらずフリーターのままです。働いていたスーパーが潰れたので肉屋の総菜コーナーで働いています。映画鑑賞が趣味です。 (猟奇的な彼女)には負けました。マジで面白いのでオススメです。」

2005(23歳)
「肉屋の総菜を辞めてニートを経て、化粧品のピッキングをしています。去年はよく競馬に行きました。休日は中山競馬場でオヤジ達と絶叫する日々。 映画は、スウィングガールズが良かった!」

2006(24歳)
「引っ越した。一人暮らし。貧しいけれど、自由気侭なフリーター人生。 基本週5日のバイトと、土日にたまに派遣で働いてる。 でも競馬に行ってるから貧乏な生活。クリスマスも競馬の為にアスファルトの上で場所取りしてたよ」

2007(25歳)
「なんやかんやで、つじさんとの年賀状マラソンも10年目。 お互いに年を取っちゃったね。あの日数学の授業で隣同士にならなかったら、 この手紙は有り得なかったと考えると、不思議というか、スゴイと思います」

2008(26歳)
「お元気ですか?年賀状男のナタリーです。 人生順調ですか?俺は人生初のインフルエンザになりました。 昔は、映画を作るのが夢だったけど、映画館の建設というかけ離れた仕事をしたり、競馬をしたり映画を観たりしました。 つまりは無意味な日々」

2009(27歳)
「年賀状男のナタリーです。いつかは返事の無い年がくるんだろうなぁと思い寂しく思う年末です。俺はワーキングプアの極みに達しました。 去年は人生で最も働き、最も金を使いました。週7日間働いたり、 トリプルワークにチャレンジしたり。 俺は必死に大人になる事から逃げているのかも知れません。」

2010(28歳)
「家はあるのに家には帰らず、公園のベンチで月を見ながら、 堕ちたもんだと呟く。お互い年を取ったね。今年はマンガにはまりました。 お薦めはボーイズ・オン・ザ・ラン、なにわ友あれ。 20代最後の年をマクっていきたいなぁ。 」

2011(29歳)
「酒に溺れたり、ギャンブルにハマったりろくでもない20代を過ごしましたが、 4月には30歳になります。世間じゃあダメ人間と言われる俺だけど、 なんとかなるだろう、の風まかせ精神で生きてきました。 高1を最後に一度も会わず14年目の年賀状。これって凄いよね。 つじさんの味のある年賀状が好きだなぁ。エセOL生活頑張って下さい! 俺はエセ職人。上下寅一の服で居たりする。では。」

2012(30歳)
「ずっと先だと思っていた30代、30才って大人のイメージだったなぁ。 でも現実は30才になったからと言って何かが変わるわけでもなく、一日が終わり、明日へ続く日々。 月曜日の朝にランドセルの小学生が『ジャンプ』を立ち読みしている姿を見て昔の自分を思い出しながら、その隣で『ヤンマガ』を読む。 感性は変わっても生き方は変わってない、そんな僕です。」


2013(31歳)
「2人で平成の神話を目指そう。ということでナタリーです。 プー→フリーター→ニート→ハローワーカー→就職と、ドラマチックでない ロンバケを9ヶ月程過ごしました。 ぎっちりと味のある字で読んで楽しいつじさんの年賀状を見た時に、 ananの林真理子のエッセイよりスゴイのになぁ、と思うナタリーです。 エセOLをしているなんてもったいない。まぁ人生いろいろあると思いますが、 40代になっても続けたいね、年賀状マラソン。 仕事はもちろんリーマンではなく、鉄関係の職人を目指して働いているナタリーでした。」


2014(32歳)
「今年は書くのがスロースタートでした。でももちろん書くよ、絶対に。年賀状マラソンの決意を決めた、去年の年賀状。じぇ!じぇ!な内容に、体大丈夫?笑ったり心配させたりするつじさんの年賀状は自分にとって、最高のエッセイだよ。[あまちゃん]にハマり、漫画[新宿スワン]の終了にショックを受け、[競馬]から完全に足を洗い、ロトに夢を見る。そう、大人になれないナタリーです。だけど、年賀状は続けていくよ、まだまだずーっと」


2015(33歳)
「映画館で流れていたタバコCMをカッコイイと思っていた少年は、キャラではなく【不器用な人生】を生きることに…最近、金運上昇を期待して金魚を飼い始めました。ペットショップではなく、養魚場まで行く気合の入りようです。が、ロト6も馬券にも効果はいまのところ…パクパクと口を動かしながら泳ぐ姿は酒の肴としては楽しめるけどね。【同じ月を見ている】ってマンガが、不器用な男の生き様として泣ける、おすすめです」

2016(34歳)
「あの教室はもうないけれど、京成に乗って二人で止まった時間を動かしに行こうか?と言うことで、ナタリーです。
ブログ読んだよ。”年賀状マラソン”は二人で続けてきた平成の神話だけど(今の中高生には無理だよね)知らないところでつじさんの力になれたみたいで嬉しいなあ。ブログ楽しみにしてたよ。でも、才能が酒でおぼれているような気も!?去年の年賀状に書いてあった”夢”、悪夢になるかもしれないけど気持ちが変わらないなら、ぜひ」

2017(35歳)
「祝・年賀状マラソン20年目突入。15才の春に出会った二人も35才になりました。
制服姿だったあの子も今では人妻に…という事で結婚おめでとう。
つじさんの友人の脚本家と同じ学校を受験した19才の冬を思い出しました。
面接で【エロじゃなくて暴力映画でR−18になりたい】と熱く語り、不合格になったバカだったあの頃。
ずーっと言い続けてるけど、つじさんのエッセイストの才能は凄いからね。闘病ブログに笑いを持ってきた唯一無二の存在なんだから。
ポンコツ、OLの芝レースからダート路線に行くのを待ってます。クロフネになってね。」

2018(36歳)
「小学生の頃、犬を飼いたかった少年は30代になり、魚(アロワナ)のベニオ君(4才)と生活することに…
好物はローソンセレクト、スモークタン。つじさんは犬派?猫派?馬という答えはなしです。
という事で、今年も続く年賀状マラソン、少し前から人目に晒され、観客の中を走ることに…
本当はつじさんからの年賀状が読みたいと思うんだけどなあ。
つじと違って、名前むずい、うまく書けない。つじさん、ポンコツなんかじゃない、スラム街船橋も悪くない」

2019(37歳)
「競馬はロマンと言われたオジュウの有馬記念、近所に住んでいるにも関わらず雨が降ったから不参加でした。徹夜をして開門ダッシュで席取レースをしていたあの頃の情熱はどこへ…
つじさんが通勤で同じ路線を使っていることを知る。
ドラマじゃないけど上下線ですれ違ってるかもね。自分も毎日乗ってる。
去年はアロワナ(ベニオ君)が星になったりと悲しい出来事もあった。「ポンコツ日記」も終了したよね。
自分のおすすめマンガは「ザ・ファブル」前作と違って女性支持も高いのでぜひ。シリアスな人間ドラマの中にシュールな笑いのある小説のような映画のような作品。マンガをバカにして月曜日の朝の幸せを知らない人々に知ってほしい。
正月の朝、ポストを開ける期待と不安。いつからかそれは信頼と安心に。
平成は終わるけれど年賀状マラソンは時代を超えていく。では。」

2020(38歳)
「『哀しみは、川に流して翔べ』哀川翔、なんてカッコイイ芸名なんだと、俺も翔さんのような不良中年になりたいなと思っていたあの頃。現実はナイスミドルにもオードリーにもなれず、薄くなる頭を見て、飛び込みもアクションもできないジェイソン・ステイサムになるのかなと不安になる今日この頃。
つじさん、俺は日向坂とかいう小娘に鼻の下を伸ばす情けない男になりました。
失敗も哀しみも笑いにして翔びたいね。」


と、言う訳で。



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忙しくて聴けていなかったラジオ番組を聴き回っているうちに寝落ちし、気付いたら年を越していた私は寝起きに弟の帰省土産の赤福を二個食べた。そして、めちゃくちゃな寝癖も気にせずにポストへ向かった。

「そういえば」

お雑煮の準備をする母がふと手を止め、振り返って私にこう言った。

「何年か前まで来ていたナタリー君からの年賀状って今も来てるの?」


2021(39歳)NEW!!!
「在宅ともテレワークとも無縁の青空ワークの日々の中で、休校中の小学生が『くねくね』と乗るボードに興味を持ち、『遊び心』も『勇気』も忘れてしまったけれど『ブレイブボード』の練習を始め、調子に乗って、そのまま39歳『スケボー』デビュー。
授業中に隣の子の笑顔が見たくてふざけていたあの頃。密になることなく日々は流れ、高校生だった自分も春には40歳になる。そんな近くて遠い二人のソーシャルディスタンス。」




昨年、日向坂というアイドルにハマったらしいナタリーは、今年も日向坂に関しての記述をメインに据え、同じく昨年の若林ロス(オードリー)からの、「おひさまになると若林が可愛く見えたりする」という告白をしてくれた。「おひさま」というのは日向坂ファンの呼び名らしい。ウエストランドのファンを「ソルジャー」と呼ぶのと同じですね、了解です。


私はナタリーの文章が本当に好きだ、センスと才能でピカピカと光り輝いている。
無駄な言葉なんて一つもなくて、全てが私の宝物だ。

それは自分たちの生活や人生に無駄なことなんて一つもないと肯定して貰っているようでもある。
そう、救いだ。

2021

どうか皆、好きなものを食べて、好きな服を着て、好きな人と好きな酒を飲んでください。
やりたくない事はやる必要ないし、焼酎のトマト割りや豆乳割りは驚くほど美味いです。



最後に、三週間前位に書いた自分のnoteの締めに書いた文章の言葉を載せます。
自分でもかなり気に入っており何度もマスクの中で呟いたおまじないの様な言葉なのです。


「父さんへ、私はこれからも陽気に生きていこうと思います、きっと人生にはチャンスしか転がっていないと思うので」




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# by majissukaaa | 2021-01-01 12:06 | 年賀状マラソン | Comments(3)
2020年 01月 01日

年賀状マラソン2020

正月、何も予定がなくて暇なので友人の佐藤くんと西川口の妖精と一緒に上野で飲酒して、いつものように、どうでもいい馬鹿な話をしてケラケラ笑っていた。

帰宅したら体調がヤバヤバのヤバ、インフルエンザ罹患、しかも人生初の。
そんな2019年のスタートだった。

2019年、かなり色々なことがあった。

仕事も、家庭も、それ以外も。
厄介なことも、楽しいことも、嬉しいことも、それ以外も。
喜怒哀楽のメーターが完全にバグってしまった。

この一年間で、白髪が一気に増えた。
銀行の残高が千円を切ることが4回くらいあった。
一番高い買い物は、というか買い物じゃ無いけど家賃の更新85000円。
買ってよかったものはジップロックの50枚入りのお得用パック。
逆に買って失敗したのは口紅たち、使わないし、そもそも口紅好きじゃ無いのに買ってしまう。
あら、いいですね、と思ったお酒はマッコリ、翌日に残らない気がして評価が爆上がりです。
キングオブコント、M-1グランプリ、どちらも過去最高の大会だった。




4月、社内で担当の異動があって、これがかなり最悪で、あたおかな上司の下に配属されてしまい、生まれて初めて心身に異常をきたしてしまった。朝起きて化粧をして着替えて出社準備するんだけど、体が動かない。家を出ることができない。
そんなことが三日も続いてしまった。
私は大抵のことは平気で、落ち込みやすいけど引きずらないし、なんというか人生に対して適当に向き合っているので、こんな風になるのは初めてだった。
15年働いている会社だけど、もう辞めよう、そう思った翌日には社会人向けのスクールの説明会の予約をしていた。

ちなみに有難いことに、このおかしな上司からは一瞬で引き離してもらえたので大丈夫。

5月、父親が倒れる。そのまま植物状態で現在に至る。2019年で一番の出来事。
諸々の手続き、車の売却、病院の対応、母は本当に辛かったと思う。今もだけど。

夏、通い始めたスクールの課題提出に全てを捧げた。
土日は殆ど全て、お盆休みも返上、ひたすらスクールがある上野に通った。
上野なもんで、帰りに飲酒することが習慣化した。上野の不忍池の付近のベンチが私のステージです。

秋、お笑いライブやライブハウス、イベントに行く回数が例年より多かった。
いつもは原則一人で行っているこれらの催し、友人が一緒に行ってくれることが増えて嬉しかった。
生まれて初めて整体に行った。近所の立ち飲み屋に行く回数が激減した。北千住のパトロールを数年ぶりに再開した。
noteで有料記事を初めて書いた、2本。読んでくれた人がめちゃくちゃ多くて感謝しかない、ありがとう。


2019年は、いい意味でも悪い意味でも「忘れられない一日」がたくさんある印象深い一年だった。


一時期は父のことがあってメソメソしてたけど、周りにいる人たちが支えてくれるし、一緒に飲みに行ってくれる人も居るし、しょうもない話をして笑い合ってくれるから大丈夫。
私が大丈夫だから、きっと君だって大丈夫。


毎年恒例の年賀状マラソン、走り続けて、とうとう23年目。
23年って、なかなかどうして凄いもんだよ、私たちの神話は凄いね。

宜しければお正月のお供に、まずは過去5年分の記事をどうぞ。



それでは2020年度版を、毎度お馴染みのコピペ記事にてお送りします。
コピペなのに何度読んでも面白いのは、年に一度だからでしょうか?

自分で言っちゃうのもアレだけど。

それではどうぞ!






私はもう何年も、毎年一枚だけ年賀状を書いています。

1998年から始まったそれは、あっという間に今年で23枚目。
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わたしは16歳の頃からの欠かさない習慣として、たった一枚の年賀状を書き続けています。


教育熱心な両親の元、私は私立中学にお受験で入学した。


持ち上がりのまま付属の高校に進学したものの、ある時から急にクラスメイトに馴染めず孤立し、
実にあっさりと(ほぼ半年で)高校を辞めてしまった。
※ご存知の通りグレることなく、根暗で割と行儀のいい人間に育ちました


そんな短い高校生活のなか、授業と言えば、英語と数学だけはクラス関係無い学力別という残酷なシステムを採用していました。

数学の授業に関して見事に最低レベルクラス所属の私は授業中に500ml紙パックの苺ミルクオーレを飲みながらうたた寝をして教師に呼び出しを喰らう有様。

プールの授業後でひどく疲れていたと云う言い訳は一切聞いてもらえずよく怒られていた。
そんな数学の授業で、 うちの高校には珍しく、中学からの持ち上がりではなくて 通常の受験で入学してきた変わり者の男子生徒が居た。

仮の名を「ナタリー」とする。

当時彼は、映画の「レオン」が大好きで、 ナタリーポートマンを崇拝していた。
授業中は主にナタリーの写真の切り抜きをノートに貼る作業。
もしくは、自作の漫画やイラスト等を描いていた様に記憶している。

たまに彼と席が隣になると、馬鹿なことを話しては笑い教師に睨まれ、しかし次の週にはまたイラストを見せ合い笑い、怒られるという阿呆な日々。
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ナタリーとはクラスが違ったので、数学の授業でのみ交流があった。

風の噂でナタリーと同じクラスの子から、 「音楽の授業に早弁(腹が減ったので弁当を昼食まで待てず喰うこと)をしていた」 という伝説等を耳にした。

音楽の授業中に早弁…! 尊敬に近い感情を持ったまま、 高校からフェードアウトしてしまった私は、 なんとなくその年のお正月、彼に年賀状を出してみる事にした。

もちろん携帯電話など無いポケベル世代真っ只中。 連絡を取る手段なんて実家の電話しかない、そんな化石のような時代のおはなし。それが1998のこと。


そして。返事が来た。


以来、実に23年もの間、年賀状のみのやり取りをしている。

私もナタリーもお互い、絶対に年賀状を書き続けている。
ちなみに家は非常に近い。 電車でほんの20分程度かと思われる。

しかし、ポケベル世代だった私たちは、当たり前だけれど メールアドレスも電話番号も知らないし、連絡も一切取ることなく、会ってもいない。

あの教室の、隣の席で話したっきり時間は止まり、23年が経っている。 それでも絶大な信頼感はお互いに感じていて、 それが心地よくて、毎年元旦の朝を迎えている。
以下、抜粋した記録をお届けしたいと思う。 ナタリーからの年賀状達。 (通称:「年賀状マラソン」)
年賀状マラソン2020_f0308281_17421044.jpeg





1998(16歳)
「まさかつじさんから年賀状が来るなんて驚いた! 数学の授業中に話す事が出来なくて残念だけど、まぁ頑張るさ。 いつか又お洒落なハガキをください。あなたはおもしろい。」

1999(17歳)
「返事が来ないと思いつつ年賀状を書きました。 ぼくは今郵便局でバイト中です。いまでも貰ったハサミを使っていると 君のことを考える時があります」

2000(18歳)
「グレたりしないで人生を楽しんでいますか?俺は、大学に行っても勉強もしないでバイトばかりしそうな気がするので、専門に行こうかなぁと考えています。最近筋トレにハマっています」

2001(19歳)
※わたしの引っ越しの混乱により、年賀状紛失

2002(20歳)
「はるばる上野の予備校に通ったものの受験に失敗して、スベリ止めの 卵の白身のカロリーくらいしかない大学に通っています。 同じ大学の加藤あいには会えないし、つまらないです」

2003(21歳)
「俺は結局、大学を辞めてフリーターになってしまいました。 今は主婦と仲良くスーパーで働いています。趣味で料理をはじめました。 得意料理は親子丼とホットケーキです」

2004(22歳)
「俺は相変わらずフリーターのままです。働いていたスーパーが潰れたので肉屋の総菜コーナーで働いています。映画鑑賞が趣味です。 (猟奇的な彼女)には負けました。マジで面白いのでオススメです。」

2005(23歳)
「肉屋の総菜を辞めてニートを経て、化粧品のピッキングをしています。去年はよく競馬に行きました。休日は中山競馬場でオヤジ達と絶叫する日々。 映画は、スウィングガールズが良かった!」

2006(24歳)
「引っ越した。一人暮らし。貧しいけれど、自由気侭なフリーター人生。 基本週5日のバイトと、土日にたまに派遣で働いてる。 でも競馬に行ってるから貧乏な生活。クリスマスも競馬の為にアスファルトの上で場所取りしてたよ」

2007(25歳)
「なんやかんやで、つじさんとの年賀状マラソンも10年目。 お互いに年を取っちゃったね。あの日数学の授業で隣同士にならなかったら、 この手紙は有り得なかったと考えると、不思議というか、スゴイと思います」

2008(26歳)
「お元気ですか?年賀状男のナタリーです。 人生順調ですか?俺は人生初のインフルエンザになりました。 昔は、映画を作るのが夢だったけど、映画館の建設というかけ離れた仕事をしたり、競馬をしたり映画を観たりしました。 つまりは無意味な日々」

2009(27歳)
「年賀状男のナタリーです。いつかは返事の無い年がくるんだろうなぁと思い寂しく思う年末です。俺はワーキングプアの極みに達しました。 去年は人生で最も働き、最も金を使いました。週7日間働いたり、 トリプルワークにチャレンジしたり。 俺は必死に大人になる事から逃げているのかも知れません。」

2010(28歳)
「家はあるのに家には帰らず、公園のベンチで月を見ながら、 堕ちたもんだと呟く。お互い年を取ったね。今年はマンガにはまりました。 お薦めはボーイズ・オン・ザ・ラン、なにわ友あれ。 20代最後の年をマクっていきたいなぁ。 」

2011(29歳)
「酒に溺れたり、ギャンブルにハマったりろくでもない20代を過ごしましたが、 4月には30歳になります。世間じゃあダメ人間と言われる俺だけど、 なんとかなるだろう、の風まかせ精神で生きてきました。 高1を最後に一度も会わず14年目の年賀状。これって凄いよね。 つじさんの味のある年賀状が好きだなぁ。エセOL生活頑張って下さい! 俺はエセ職人。上下寅一の服で居たりする。では。」

2012(30歳)
「ずっと先だと思っていた30代、30才って大人のイメージだったなぁ。 でも現実は30才になったからと言って何かが変わるわけでもなく、一日が終わり、明日へ続く日々。 月曜日の朝にランドセルの小学生が『ジャンプ』を立ち読みしている姿を見て昔の自分を思い出しながら、その隣で『ヤンマガ』を読む。 感性は変わっても生き方は変わってない、そんな僕です。」


2013(31歳)
「2人で平成の神話を目指そう。ということでナタリーです。 プー→フリーター→ニート→ハローワーカー→就職と、ドラマチックでない ロンバケを9ヶ月程過ごしました。 ぎっちりと味のある字で読んで楽しいつじさんの年賀状を見た時に、 ananの林真理子のエッセイよりスゴイのになぁ、と思うナタリーです。 エセOLをしているなんてもったいない。まぁ人生いろいろあると思いますが、 40代になっても続けたいね、年賀状マラソン。 仕事はもちろんリーマンではなく、鉄関係の職人を目指して働いているナタリーでした。」


2014(32歳)
「今年は書くのがスロースタートでした。でももちろん書くよ、絶対に。年賀状マラソンの決意を決めた、去年の年賀状。じぇ!じぇ!な内容に、体大丈夫?笑ったり心配させたりするつじさんの年賀状は自分にとって、最高のエッセイだよ。[あまちゃん]にハマり、漫画[新宿スワン]の終了にショックを受け、[競馬]から完全に足を洗い、ロトに夢を見る。そう、大人になれないナタリーです。だけど、年賀状は続けていくよ、まだまだずーっと」


2015(33歳)
「映画館で流れていたタバコCMをカッコイイと思っていた少年は、キャラではなく【不器用な人生】を生きることに…最近、金運上昇を期待して金魚を飼い始めました。ペットショップではなく、養魚場まで行く気合の入りようです。が、ロト6も馬券にも効果はいまのところ…パクパクと口を動かしながら泳ぐ姿は酒の肴としては楽しめるけどね。【同じ月を見ている】ってマンガが、不器用な男の生き様として泣ける、おすすめです」

2016(34歳)
「あの教室はもうないけれど、京成に乗って二人で止まった時間を動かしに行こうか?と言うことで、ナタリーです。
ブログ読んだよ。”年賀状マラソン”は二人で続けてきた平成の神話だけど(今の中高生には無理だよね)知らないところでつじさんの力になれたみたいで嬉しいなあ。ブログ楽しみにしてたよ。でも、才能が酒でおぼれているような気も!?去年の年賀状に書いてあった”夢”、悪夢になるかもしれないけど気持ちが変わらないなら、ぜひ」

2017(35歳)
「祝・年賀状マラソン20年目突入。15才の春に出会った二人も35才になりました。
制服姿だったあの子も今では人妻に…という事で結婚おめでとう。
つじさんの友人の脚本家と同じ学校を受験した19才の冬を思い出しました。
面接で【エロじゃなくて暴力映画でR−18になりたい】と熱く語り、不合格になったバカだったあの頃。
ずーっと言い続けてるけど、つじさんのエッセイストの才能は凄いからね。闘病ブログに笑いを持ってきた唯一無二の存在なんだから。
ポンコツ、OLの芝レースからダート路線に行くのを待ってます。クロフネになってね。」

2018(36歳)
「小学生の頃、犬を飼いたかった少年は30代になり、魚(アロワナ)のベニオ君(4才)と生活することに…
好物はローソンセレクト、スモークタン。つじさんは犬派?猫派?馬という答えはなしです。
という事で、今年も続く年賀状マラソン、少し前から人目に晒され、観客の中を走ることに…
本当はつじさんからの年賀状が読みたいと思うんだけどなあ。
つじと違って、名前むずい、うまく書けない。つじさん、ポンコツなんかじゃない、スラム街船橋も悪くない」

2019(37歳)
「競馬はロマンと言われたオジュウの有馬記念、近所に住んでいるにも関わらず雨が降ったから不参加でした。徹夜をして開門ダッシュで席取レースをしていたあの頃の情熱はどこへ…
つじさんが通勤で同じ路線を使っていることを知る。
ドラマじゃないけど上下線ですれ違ってるかもね。自分も毎日乗ってる。
去年はアロワナ(ベニオ君)が星になったりと悲しい出来事もあった。「ポンコツ日記」も終了したよね。
自分のおすすめマンガは「ザ・ファブル」前作と違って女性支持も高いのでぜひ。シリアスな人間ドラマの中にシュールな笑いのある小説のような映画のような作品。マンガをバカにして月曜日の朝の幸せを知らない人々に知ってほしい。
正月の朝、ポストを開ける期待と不安。いつからかそれは信頼と安心に。
平成は終わるけれど年賀状マラソンは時代を超えていく。では。」



と、言う訳で。



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年賀状マラソン2020_f0308281_16392743.jpeg


元旦、実家で弟からお年玉を貰うことに失敗して帰宅し、冷え切ったポストを確認すると、やっぱり年賀状は来ているのです。


2020(38歳)NEW!!!
「『哀しみは、川に流して翔べ』哀川翔、なんてカッコイイ芸名なんだと、俺も翔さんのような不良中年になりたいなと思っていたあの頃。現実はナイスミドルにもオードリーにもなれず、薄くなる頭を見て、飛び込みもアクションもできないジェイソン・ステイサムになるのかなと不安になる今日この頃。
つじさん、俺は日向坂とかいう小娘に鼻の下を伸ばす情けない男になりました。

失敗も哀しみも笑いにして翔びたいね。」




詳細は私とナタリーと二人だけの秘密にするけど、オードリーの若林に関しての記述がかなり多かった今年のナタリーの年賀状。
アイドルに興味がなかった彼は2019年、日向坂というアイドルにハマった一年だったらしい。
そのうちに、日向坂が好きなのかオードリーが好きなのか分からなくなってしまい、若林への想いがどんどんと増したようだ。
11月22日、若林が結婚したあの日から、若林ロスになってしまったナタリー。

分かる、分かるよ。

春日も、山里亮太も、若林も、まさかバカリズムまで。
かなりのダメージ喰らった人が多かったとおもう。

でも、なんだろう、ナタリーの「若林ロス」は少し違うのかも知れないね。

しかし、ナタリーの文章は本当にいい。
言葉のチョイスが絶妙、何度読んでも笑える、人生が詰まっている。天才です。




私は今回の年賀状、12月24日、というか日付変わって12月25日ですね。深夜の2時半に書きました。

書き出しはこうです。
「昨年と同じ書き出しで申し訳ないんだけど、変わる事なく深夜ラジオとお笑いライブ、競馬と飲酒の日々です」

いやぁ、ひどいもんです。
例年になく、色気のない年賀状になりました、ごめんねナタリー。
でも、たまにそんなことがあってもいいでしょ、来年はちゃんとします。ちゃんとするって何だろう。



昨年書いた記事の締め括りで、私はこんな一文を書いていました。

「まぁ、生きていればなんでも良いよね。しんどいことの方が多いけど、生きるのはそれなりに楽しい気がするよね。」

本当にそうだね、本当にそう思うよ。

きっとこれからも色々あるけれど、全ての出来事には意味があるし、全ての時間は愛しいし、昼間から呑むビールはうまいです。


2020

これを読んでくれた皆が、馬鹿馬鹿しくも楽しい時間を過ごせますように。
久しぶりにゲリラ飲み会もやりたいな、その時には皆まとめてチューしてやっかんな!
ナタリーもどうか元気でいてね。そして私もね。




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# by majissukaaa | 2020-01-01 16:04 | 年賀状マラソン | Comments(2)
2019年 01月 02日

年賀状マラソン2019

行きつけの立ち飲み屋で泥酔の後、転倒して下顎に裂傷を負った大晦日からちょうど一年。
相変わらず傷痕は消えないままだけれど、懲りずに繰り返す飲酒の失敗は数多い。

それでも、2017年にぶちかました二度の携帯電話紛失や、えげつない電車の寝過ごし(知らない県に居る等…)は無かった2018年。少しは年相応に成長したのか、それとも記憶にないだけなのか…?

12月28日、会社の忘年会に珍しく参加したものの開始30分経っても隣の席に誰も座ってくれないという事態を乗り越えて不味いビールのピッチャーを延々と流し込んだ結果、帰路の電車の乗り換えを誤り、何故か立石駅という飲酒街に降り立っていた。
深夜の立石駅は、それはもう閑散としており駅前にはタクシーどころか人も居ない。昼飲みの街なのでお店も閉まっている。ゴーストタウンだ。

駅の付近を泣きながら徘徊し、セクシーなお姉さんに道を訪ねてどうにかタクシーを拾うことが出来た。
ありがとうございます、あの時のセクシーなお姉さん。

この日、深夜の気温は僅か1℃程度、そんな中で30分も徘徊していた私。
冗談抜きに遭難して凍死するかと思った。

深夜の立石駅で会社員の女性が遭難して凍死…そんな悲しいニュースは避けなければならない…

そんな、大人になりきれない私から皆さんへ、Bloodthirsty Butchers (というバンド)の
JACK NICOLSON」という曲の歌詞を送ります。


『僕はどんどんと年をとっていく訳で 作るものはどんどんと色褪せる
 君がその先大人になっても 悪い大人の手本でいたいんだ』



毎年恒例の年賀状マラソン、走り続けて、とうとう22年目。


宜しければお正月のお供に、まずは過去4年分の記事をどうぞ。



それでは2019年度版を、毎度お馴染みのコピペ記事にてお送りします。
不思議だね、コピペなのに何度読んでも面白いの、自分で言っちゃうのもアレだけど。

それではどうぞ!




私はもう何年も、毎年一枚だけ年賀状を書いています。

1998年から始まったそれは、あっという間に今年で22枚目。
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わたしは16歳の頃からの欠かさない習慣として、たった一枚の年賀状を書き続けています。


教育熱心な両親の元、私は私立中学にお受験で入学した。


持ち上がりのまま付属の高校に進学したものの、ある時から急にクラスメイトに馴染めず孤立し、
実にあっさりと(ほぼ半年で)高校を辞めてしまった。
※ご存知の通りグレることなく、根暗で割と行儀のいい人間に育ちました


そんな短い高校生活のなか、授業と言えば、英語と数学だけはクラス関係無い学力別という残酷なシステムを採用していました。

数学の授業に関して見事に最低レベルクラス所属の私は授業中に500ml紙パックの苺ミルクオーレを飲みながらうたた寝をして教師に呼び出しを喰らう有様。

プールの授業後でひどく疲れていたと云う言い訳は一切聞いてもらえずよく怒られていた。
そんな数学の授業で、 うちの高校には珍しく、中学からの持ち上がりではなくて 通常の受験で入学してきた変わり者の男子生徒が居た。

仮の名を「ナタリー」とする。

当時彼は、映画の「レオン」が大好きで、 ナタリーポートマンを崇拝していた。
授業中は主にナタリーの写真の切り抜きをノートに貼る作業。
もしくは、自作の漫画やイラスト等を描いていた様に記憶している。

たまに彼と席が隣になると、馬鹿なことを話しては笑い教師に睨まれ、しかし次の週にはまたイラストを見せ合い笑い、怒られるという阿呆な日々。
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ナタリーとはクラスが違ったので、数学の授業でのみ交流があった。

風の噂でナタリーと同じクラスの子から、 「音楽の授業に早弁(腹が減ったので弁当を昼食まで待てず喰うこと)をしていた」 という伝説等を耳にした。

音楽の授業中に早弁…! 尊敬に近い感情を持ったまま、 高校からフェードアウトしてしまった私は、 なんとなくその年のお正月、彼に年賀状を出してみる事にした。

もちろん携帯電話など無いポケベル世代真っ只中。 連絡を取る手段なんて実家の電話しかない、そんな化石のような時代のおはなし。それが1998のこと。


そして。返事が来た。


以来、実に22年もの間、年賀状のみのやり取りをしている。

私もナタリーもお互い、絶対に年賀状を書き続けている。
ちなみに家は非常に近い。 電車でほんの20分程度かと思われる。

しかし、ポケベル世代だった私たちは、当たり前だけれど メールアドレスも電話番号も知らないし、連絡も一切取ることなく、会ってもいない。

あの教室の、隣の席で話したっきり時間は止まり、22年が経っている。 それでも絶大な信頼感はお互いに感じていて、 それが心地よくて、毎年元旦の朝を迎えている。
以下、抜粋した記録をお届けしたいと思う。 ナタリーからの年賀状達。 (通称:「年賀状マラソン」)

 年賀状マラソン2019_f0308281_11173089.jpg




1998(16歳)
「まさかつじさんから年賀状が来るなんて驚いた! 数学の授業中に話す事が出来なくて残念だけど、まぁ頑張るさ。 いつか又お洒落なハガキをください。あなたはおもしろい。」

1999(17歳)
「返事が来ないと思いつつ年賀状を書きました。 ぼくは今郵便局でバイト中です。いまでも貰ったハサミを使っていると 君のことを考える時があります」

2000(18歳)
「グレたりしないで人生を楽しんでいますか?俺は、大学に行っても勉強もしないでバイトばかりしそうな気がするので、専門に行こうかなぁと考えています。最近筋トレにハマっています」

2001(19歳)
※わたしの引っ越しの混乱により、年賀状紛失

2002(20歳)
「はるばる上野の予備校に通ったものの受験に失敗して、スベリ止めの 卵の白身のカロリーくらいしかない大学に通っています。 同じ大学の加藤あいには会えないし、つまらないです」

2003(21歳)
「俺は結局、大学を辞めてフリーターになってしまいました。 今は主婦と仲良くスーパーで働いています。趣味で料理をはじめました。 得意料理は親子丼とホットケーキです」

2004(22歳)
「俺は相変わらずフリーターのままです。働いていたスーパーが潰れたので肉屋の総菜コーナーで働いています。映画鑑賞が趣味です。 (猟奇的な彼女)には負けました。マジで面白いのでオススメです。」

2005(23歳)
「肉屋の総菜を辞めてニートを経て、化粧品のピッキングをしています。去年はよく競馬に行きました。休日は中山競馬場でオヤジ達と絶叫する日々。 映画は、スウィングガールズが良かった!」

2006(24歳)
「引っ越した。一人暮らし。貧しいけれど、自由気侭なフリーター人生。 基本週5日のバイトと、土日にたまに派遣で働いてる。 でも競馬に行ってるから貧乏な生活。クリスマスも競馬の為にアスファルトの上で場所取りしてたよ」

2007(25歳)
「なんやかんやで、つじさんとの年賀状マラソンも10年目。 お互いに年を取っちゃったね。あの日数学の授業で隣同士にならなかったら、 この手紙は有り得なかったと考えると、不思議というか、スゴイと思います」

2008(26歳)
「お元気ですか?年賀状男のナタリーです。 人生順調ですか?俺は人生初のインフルエンザになりました。 昔は、映画を作るのが夢だったけど、映画館の建設というかけ離れた仕事をしたり、競馬をしたり映画を観たりしました。 つまりは無意味な日々」

2009(27歳)
「年賀状男のナタリーです。いつかは返事の無い年がくるんだろうなぁと思い寂しく思う年末です。俺はワーキングプアの極みに達しました。 去年は人生で最も働き、最も金を使いました。週7日間働いたり、 トリプルワークにチャレンジしたり。 俺は必死に大人になる事から逃げているのかも知れません。」

2010(28歳)
「家はあるのに家には帰らず、公園のベンチで月を見ながら、 堕ちたもんだと呟く。お互い年を取ったね。今年はマンガにはまりました。 お薦めはボーイズ・オン・ザ・ラン、なにわ友あれ。 20代最後の年をマクっていきたいなぁ。 」

2011(29歳)
「酒に溺れたり、ギャンブルにハマったりろくでもない20代を過ごしましたが、 4月には30歳になります。世間じゃあダメ人間と言われる俺だけど、 なんとかなるだろう、の風まかせ精神で生きてきました。 高1を最後に一度も会わず14年目の年賀状。これって凄いよね。 つじさんの味のある年賀状が好きだなぁ。エセOL生活頑張って下さい! 俺はエセ職人。上下寅一の服で居たりする。では。」

2012(30歳)
「ずっと先だと思っていた30代、30才って大人のイメージだったなぁ。 でも現実は30才になったからと言って何かが変わるわけでもなく、一日が終わり、明日へ続く日々。 月曜日の朝にランドセルの小学生が『ジャンプ』を立ち読みしている姿を見て昔の自分を思い出しながら、その隣で『ヤンマガ』を読む。 感性は変わっても生き方は変わってない、そんな僕です。」


2013(31歳)
「2人で平成の神話を目指そう。ということでナタリーです。 プー→フリーター→ニート→ハローワーカー→就職と、ドラマチックでない ロンバケを9ヶ月程過ごしました。 ぎっちりと味のある字で読んで楽しいつじさんの年賀状を見た時に、 ananの林真理子のエッセイよりスゴイのになぁ、と思うナタリーです。 エセOLをしているなんてもったいない。まぁ人生いろいろあると思いますが、 40代になっても続けたいね、年賀状マラソン。 仕事はもちろんリーマンではなく、鉄関係の職人を目指して働いているナタリーでした。」


2014(32歳)
「今年は書くのがスロースタートでした。でももちろん書くよ、絶対に。年賀状マラソンの決意を決めた、去年の年賀状。じぇ!じぇ!な内容に、体大丈夫?笑ったり心配させたりするつじさんの年賀状は自分にとって、最高のエッセイだよ。[あまちゃん]にハマり、漫画[新宿スワン]の終了にショックを受け、[競馬]から完全に足を洗い、ロトに夢を見る。そう、大人になれないナタリーです。だけど、年賀状は続けていくよ、まだまだずーっと」


2015(33歳)
「映画館で流れていたタバコCMをカッコイイと思っていた少年は、キャラではなく【不器用な人生】を生きることに…最近、金運上昇を期待して金魚を飼い始めました。ペットショップではなく、養魚場まで行く気合の入りようです。が、ロト6も馬券にも効果はいまのところ…パクパクと口を動かしながら泳ぐ姿は酒の肴としては楽しめるけどね。【同じ月を見ている】ってマンガが、不器用な男の生き様として泣ける、おすすめです」

2016(34歳)
「あの教室はもうないけれど、京成に乗って二人で止まった時間を動かしに行こうか?と言うことで、ナタリーです。
ブログ読んだよ。”年賀状マラソン”は二人で続けてきた平成の神話だけど(今の中高生には無理だよね)知らないところでつじさんの力になれたみたいで嬉しいなあ。ブログ楽しみにしてたよ。でも、才能が酒でおぼれているような気も!?去年の年賀状に書いてあった”夢”、悪夢になるかもしれないけど気持ちが変わらないなら、ぜひ」

2017(35歳)
「祝・年賀状マラソン20年目突入。15才の春に出会った二人も35才になりました。
制服姿だったあの子も今では人妻に…という事で結婚おめでとう。
つじさんの友人の脚本家と同じ学校を受験した19才の冬を思い出しました。
面接で【エロじゃなくて暴力映画でR−18になりたい】と熱く語り、不合格になったバカだったあの頃。
ずーっと言い続けてるけど、つじさんのエッセイストの才能は凄いからね。闘病ブログに笑いを持ってきた唯一無二の存在なんだから。
ポンコツ、OLの芝レースからダート路線に行くのを待ってます。クロフネになってね。」

2018(36歳)
「小学生の頃、犬を飼いたかった少年は30代になり、魚(アロワナ)のベニオ君(4才)と生活することに…
好物はローソンセレクト、スモークタン。つじさんは犬派?猫派?馬という答えはなしです。
という事で、今年も続く年賀状マラソン、少し前から人目に晒され、観客の中を走ることに…
本当はつじさんからの年賀状が読みたいと思うんだけどなあ。
つじと違って、名前むずい、うまく書けない。つじさん、ポンコツなんかじゃない、スラム街船橋も悪くない」


と、言う訳で。



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元旦の朝、部屋着のままポストに走ると、やっぱり年賀状は来ているのです。


2019(37歳)NEW!!!
「競馬はロマンと言われたオジュウの有馬記念、近所に住んでいるにも関わらず雨が降ったから不参加でした。徹夜をして開門ダッシュで席取レースをしていたあの頃の情熱はどこへ…
つじさんが通勤で同じ路線を使っていることを知る。
ドラマじゃないけど上下線ですれ違ってるかもね。自分も毎日乗ってる。
去年はアロワナ(ベニオ君)が星になったりと悲しい出来事もあった。「ポンコツ日記」も終了したよね。
自分のおすすめマンガは「ザ・ファブル」前作と違って女性支持も高いのでぜひ。シリアスな人間ドラマの中にシュールな笑いのある小説のような映画のような作品。マンガをバカにして月曜日の朝の幸せを知らない人々に知ってほしい。
正月の朝、ポストを開ける期待と不安。いつからかそれは信頼と安心に。
平成は終わるけれど年賀状マラソンは時代を超えていく。では。」






毎年更新している、この「年賀状マラソン」のブログ記事。
大切にしたい想いから、ナタリーからの年賀状の文面は毎年「抜粋」をしてきたんだけど、今回は遂にほぼ全文を掲載してしまいました。すまん、ナタリー。


ナタリーの競馬狂い時代のエピソードや、通勤電車が実は同じだったことや
アロワナのベニオくんの訃報や、オススメのマンガ。
全てが完璧で、勢い余って思わず全世界にお送りしてしまいました。


エキサイトブログ、いつの間にかコメント機能が閉鎖していたのでナタリーからの苦情を受付する手段もありません、お許しください。
しかし、相変わらず良い文章を書くね、ナタリーは。何度でもニヤニヤして読んでしまう。




私は今回の年賀状、12月26日、自分の誕生日の夜に書いたんだけど
「相変わらず深夜ラジオとお笑いライブ、飲酒と競馬の日々…」というどうしようもない書き出しから始まっている。どんな誕生日を過ごしているのか私は。でも悪くないでしょう…

今回のナタリーへの年賀状にも書いたんだけど、2018年はポンコツ日記の闘病編を一旦区切り付けて終了にしましたが、その記事のタイトルは「プロローグ」というもの。

これ、多分ナタリー自身も忘れているのですが、前回の年賀状にナタリーが書いていたフレーズ。

「つじさんに貰ったハサミまだあるよ、流石に錆びたけど。二人の原点、年賀状マラソンのプロローグかな?」

これ読んだ時から、ポンコツ日記の最終回のタイトルは「プロローグ」にすると心に決めていたし、
最終回の内容については、ブログ開始した当初から考えていたもの。
最終回のタイトルがプロローグだなんて、我ながら最高にクールだと思っていたのですが、それに言及する方は遂に一人も居ませんでしたね…いいんですよ…

宜しければ闘病編の最終回の記事、「プロローグ」をご覧ください → こちらです




今回の年賀状、私はこんな内容で締めくくりました

「私はブログ界のクロフネ、いや、オジュウチョウサンになれるのか…!?目が離せない」

ブログの闘病編は終わりましたが、年賀状マラソンは走り続けているし、刺繍は一瞬で飽きたし、イラストは楽しくてまだ描いているし、飲酒は続けているから、きっとまた何かの発信をすることが出来るかもしれないし、出来ないかもしれないね。

まぁ、生きていればなんでも良いよね。
しんどいことの方が多いけど、生きるのはそれなりに楽しい気がするよね。

というわけで。


2019

この記事を読んでくれた、愛すべき皆様、もう全員まとめて幸せになってくれ!!!

そして、今年も引き続き仲良くしてね!





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# by majissukaaa | 2019-01-02 12:56 | 年賀状マラソン | Comments(0)